472837 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

終活日記

終活日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X
2009年08月29日
XML
カテゴリ:読書

昭和二十年夏、僕は兵士だった
金子兜太、大塚初重、三國連太郎、水木しげる
池田武邦といった、それぞれの分野の著名人の
戦争体験を聞き書きしたもの。
角川だから、金子が最初になるのかな。
内容は読んでいただくとして、ユニークなのは
三國連太郎。
結局前線に送られるのだが、召集を受け、逃亡を試みる。
恥じた母親の通報で捕まるのだが、当時の状況からして
想像はしても、実行に移す人間はほとんどいなかたのでは。
現在のキャラクターにつながるものがある。

戦争体験者の高齢化が進む中、こういう傾向の本が
今後の終戦月にはふえるのではないか。

もうひとつ戦争物。
というか、こちらが本命だったのだが、写真がないので
後にした。

「ナガサキ消えたもう一つの「原爆ドーム」」 高瀬毅

原爆の日には、広島でも長崎でも、追悼行事は
行われているが、この原爆にたいする温度差は
どこからくるのか、と常々疑問に思っていた。
日にちや原爆の種類や被害者数は異なっていても
日本の国土に、大量殺戮兵器が投下されたのは同じでないか。

広島の原爆ドームを背景にした映像はしょっちゅう
流されるが、長崎はというと、あまり印象にない。
具体的な遺跡がないせいだろう。

長崎では、目標の中心市街地をはずれ、浦上天主堂近くに
投下された。
この本にも写真があるが、壁だけ残したり、聖人の像が
ズタズタになっている。
言葉は悪いが、キリスト教の施設を破壊したということで
広島よりも、ある意味ではインパクトがあるのでは。

ところが、全部撤去され、新しい天主堂が今では鎮座する。
これに米国の意図がからんでいたということが分かり
疑問が幾分か氷解した。
戦争が終えられたのは、原爆のおかげ、とのたもた
議員がいたが、こいつも、この流れのひとつだろう。

知らなかったが、今ではあちこちで行われている
姉妹都市提携というのが、長崎と米国のセントポール市
が最初なんだとか。
米国の述懐策がミエミエだな。
現に、浦上天主堂を原爆のモニュメントにしようとする
動きに賛同だった当時の市長が、これにからんで招待され
海外渡航も困難な時代に、米国を一ヶ月も視察(観光)旅行し
帰って、過去の意見を翻している。

米国のあざとさに感心するが、同時に、この国のおめでたさ
も実感する。
資料あさりには、かなりの根気もいったと思うが
著者が長崎出身で、母親が被爆者という事実も
影響は大きいだろうな。








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2009年08月29日 08時14分43秒
コメント(6) | コメントを書く
[読書] カテゴリの最新記事


PR

カレンダー

ニューストピックス

フリーページ


© Rakuten Group, Inc.
X