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私はさまざまな伝統行事を決められたとおりにやらない性質なんで、世間で決められたタイミングで墓参をしたりはしません。法事もしません。 母のお墓は鎌倉にあります。山登りが好きだった亡き父のために母が決めたお墓で、霊園の一番端っこにあり、目の前は低い山です。足を踏み入れたら二度と戻ってこられないように見える北鎌倉へのハイキングコース入り口があります。 私は特定の宗教を持っていません。お墓とかお位牌とかに魂が宿るという感じをもったこともなく、ふと見上げた空やその人が使っていたものに故人を感じるという、徹底的に自分主義な人です。これまでの「父のお墓参り」も義務のひとつとして母についていくような感じでした。母の納骨をしたときも「お墓」という場所は「骨の安置場所」としか感じてませんでした。 久しぶりに見た墓石は少し苔がついて、花入れの水にも枯葉が入っていたりしました。墓石を拭いてお花を供えると、なんだかこざっぱり。みんみんもお花をあげて、お墓にお水をかけました。 というわけで(?)今日いちばん嬉しかったのは「お墓参りに行ってきた」ということ。 そういえば、母が亡くなったときは、私が生まれて初めて喪主というものをやりました。 それでもいざ手配となると、親戚の意向が違ったりとか、慣習から外れていると葬儀屋さんにとめられたりとか、いろいろと壁がありました。強引に「故人の遺志ですから」で通しましたが、疲れと怒りで激しい頭痛に襲われ、打ち合わせの席を中座したこともありました。それから式後の挨拶状やさまざまな手配もわからないことだらけでした。 自分もいろいろ言い遺しておく必要があるし、一般的な慣習も知っておく必要がある!と実感しました。母のお別れ会に関して後悔することはありませんが、やはり人一人送り出す儀式というのは、とても大変なのですね。 旦那の親戚はカトリックで教会で献花をするし、知り合いの神主の娘さんとこでは、一晩中酒飲んで笑って送るそうです。宗教、慣習によっても、いろいろな送り方があるもんなんでしょうね。 自分と家族の未来を考えるエンディングノート 葬儀と供養のすべて お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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