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心とからだの不自由をもたらす「支配」と「被支配」の関係は、「自分」と「他者」の間だけで起きるわけではありません。
わかりやすい例としては、私たちは「常識」にも支配されています。 疑うことも出来ない状態で支配されているからこその「常識」なんです。でも、その本人はそのことを知りません。 対人関係で何かトラブルがあると「相手の方が非常識だから」と考えるだけです。 でもその相手も、「自分の常識」に従っているだけなのかも知れません。 「自分の常識」は「他人の非常識」であることも多いのですから。 でも、「常識」に支配されているばかりでその「常識」を疑わないような人は科学者にはなることが出来ません。 「なんでリンゴが落ちてくるのだろう?」という言葉に、「何言っているの。そんなの常識だろ」としか返せないような人は科学者には向いていないのです。 詩人にも、アーティストにも、教育者にも向いていません。というか、自分の人生を「自分自身のもの」として生きることも困難でしょう。 また、「大人の常識」に支配されている人は子育ても苦労します。 「子どもの常識」と「大人の常識」は全く異なるのですが、「大人の常識」に支配されている人はそれが分からず、子どもに対しても「大人の常識」をそのまま押しつけようとするからです。 でも、子どもには「大人の常識」は通用しないので、大人が伝えたいことが伝わりません。 すると、子育てが「勝つか負けるか」の戦いになってしまいます。でも、この戦いは、子どもの心も、お母さんの心も傷つけます。 どちらも悪くないのですが、「大人の常識」に支配されている人にはそれが分からないのです。 また、人間は「感覚」や「思い込み」にも支配されています。 ゴキブリを見るとギャーギャー言って逃げ惑う人も多いですが、本当は、逃げ回る必要があるのはゴキブリの方であって、人間は逃げ回る必要などないのです。 「ゴキブリ」という言葉を聞いただけで嫌悪感を感じてしまうので「G」と略したり「茶色いあれ」と言い表したりする人もいますが、そのような人は「ゴキブリ」に感覚を支配されているのです。 不潔だからといって、「電車のつり革」や、「道ばたに咲いている草や花」にすら触ることが出来ないような人も、「感覚」や「思い込み」に支配されています。 「電車のつり革」も「道ばたに咲いている草や花」も、何にも攻撃して来るわけではないのに、恐れているのです。 それどころか、幼い時からそういう雑菌と触れあうことで免疫力が育っていくのです。 最近のテレビを見ていると、生活の回りのもの全てを除菌しないと、すぐにでも病気になってしまうように言い立てていますが、それは、不安を煽って支配しようとしているのです。 商品を買わせるための支配です。 でも、それに支配されて「除菌宗教」にはまってしまうと、子どもの免疫機能が育ちにくくなり、からだは弱くなります。 様々なことに対して不安が強くなり、積極的に活動できなくなります。 子どもの「子どもらしさ」を否定して回らなければならなくなります。 この「不安を煽る」というのは、人を支配しようとする人がよく使う手です。「ミサイルが飛んでくるかも」と言い立てて不安を煽っている人もいます。 そのくせ、役にも立たないような情報しか流しません。 本当に危険ならば不安を煽るのではなく、もっと具体的に対処法を考え、伝えるべきです。 原発に落ちた場合のことも真剣に考えるべきです。 でも、それをしないということは単に不安を煽るのが目的としか思えません。 お母さん達も、「勉強しないと・・・」とか「歯を磨かないと・・・」と言って子どもを脅していますよね。意識していないかも知れませんが、それは、子どもを支配しようとする行為に他なりません。 ただし、「歯を磨かなくてもいい」ということを言いたいわけではありませんからね。「不安を煽って子どもを追い立てないようにして下さい」ということです。 何かに支配されている人ほど、自分よりも下位の相手に対しては、この手を使おうとするのです。 支配されている人ほど支配したがるのです。 子どもには大人の常識は理解出来ませんから、お母さんがお母さんの常識で子どもを支配しようとしても子どもは言うことを聞きません。 怒鳴っても、叩いても言うことを聞きません。反抗しているのではなく、出来ないのです。 それで、「叩いても無駄だ」ということを知っている人は、不安を煽るようなことを言って、言うことを聞かせようとします。 「力」や「威嚇」ではなく「不安」で支配しようとするのです。 比較的、学歴が高い人ほどこの方法を使っているような気がします。 でも、この手を使うと、子どもの心の中に「不安」が定着してしまい、大人になっても「不安」に支配されるようになります。 そして、我が子に対しても同じ事を繰り返します。 ちなみに「不安」と「心配」は違いますからね。 私は心配性ではありますが、不安を感じたりはしません。色々心配だから「雨が降ったらどうしよう」などと色々なことを考え、色々なことを準備するのです。 でも、不安に囚われているだけの人は、実際には何もしません。 「心配」は人を考えることや行動に向かわせますが、「不安」は人の心やからだをただ固めてしまうだけです。 不安から抜け出せない人は「何か」に支配されているのです。その「何か」に気付けば、不安も消えるのです。 「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花(ススキ)」の句の通りです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.05.15 08:11:57
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