実は以前、mixiで書いたんですが、あまりにもおすすめなのでもう一度。
**以下、かなり乱暴なあらすじ**
舞台は南モンゴルゴビ砂漠
初産で難産だったため、精神的なショックで子ラクダの面倒をみない母ラクダ
このラクダ親子のために「フースの儀式」をすることになる
儀式のために、馬頭琴をひく音楽家を遠い県庁の街まで呼びに行く長男と次男(たぶん13歳くらいと6歳くらい)
ラクダに乗って県庁に近づくにつれて、テレビとか自転車とかバイクとか、日常生活では身の回りにないものが増えてきて、次男のほうはテレビがほしくて仕方がなくなる
無事、県庁の町から音楽家がやてきて、母ラクダに人間の母親の唄と馬頭琴を聞かせる「フースの儀式」を行い、母ラクダは初めて子ラクダに乳をやるようになり、安心する一家
ラストは、一家のゲルにテレビがやってきて、電力供給のためにゲルの屋根にソーラーパネルを設置しているシーン
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ラクダをじっくり見たのは初めてでしたが、ライオンみたいにりりしくて、やさしい眼をしていて、素敵な動物でした。もののけ姫のシシ神のモデルはラクダ?と思ったりして。
くだんのラクダを所有している一家は、実際の遊牧民家族で、4世代が3つのゲル(パオかな?)でいっしょに生活しています。
演技ではなく、ドキュメンタリー映画です。解説のないドキュメンタリー。
母ラクダのエピソードなんかほんとに切ないし、伝統的な生活と近代文明うんぬんとか、難しいテーマをぶちたくなる気も一瞬するけれど、一家の生活や砂嵐の情景、県庁に行った子供が帰ってくるのを双眼鏡で見て「地平線にラクダが2頭いる。あの子達かな」なんて言うところとか、なんていうんでしょうね、余計なものがないような気がするんですよ。ほんとにそれが好き。
ラクダの話だって、一家は心配してなんとかしたいと思っているわけです。本物ですから。でも余計な感情表現とか計算とか、なんていうんでしょう、「贅肉」がないんです。
「ドキュメンタリーだから」じゃなくてたぶんモンゴルの遊牧民だからだと思うので、それでああ、自分の前世がモンゴルの遊牧民だったらいいなー、と夢見てしまいます。
この映画、モンゴル出身の女性とイタリア出身の男性の二人の監督が作ったんですが、インタビューでイタリア出身の男性が「世界共通の普遍のテーマを録った」って言ってました。
もともと「フースの儀式」を撮影したかったらしいです。その監督は、そういう風習があること含めて、モンゴルの世界感には普遍的なものを感じるそうです。
常々風葬にしてもらいたい、と思っていたのですが、この映画を見終わったところで、やっぱり風葬に決定(今もそういう葬送をしているかどうかは知りませんが)。この映画見てよかったとほんとに思います。
・・・ところで「ラクダのなみだ」ってちょっと「こそあどことば」と似てる?
↓モンゴルには田螺はいないだろうな・・・Dが近所の田んぼからひろってきました。けっこう大きいかも。