きたきた。久々にきましたよ。
世の中はクリスマスムードが高まってきましたが、我が家はツリーをとっとと飾り、サンタさん?うんうん、手紙は送ったよ。とスルーして、前途にたちはだかる大問題にとりかからねばなりません。
この時期の大問題、それは、「いかにDに書道をする気にさせるか」
わかっていたのに忘れていた母は、とんでもない失敗をしてしまいました。
昨日学校の準備をしていたとき、筆がちとぼさぼさだったのね。。。でも、ちょっと加減したらいけそうだし、ダメなら貸してもらえるだろうと軽く考えていた母が、愚かでした。
●昨日の経緯:学校で●
今日から書道展および書初めに向けての練習が、授業で始まったらしいですが、案の定しょっぱなから激しい拒否です。
朝は、玄関に書道道具を忘れる ⇒ 母、届ける
書道の時間は教室で作業の予定 ⇒ 教室へは行かず、お絵かき
今月はずっと重役出勤が続いていることもあり、放課後学校から電話が。
「・・・というわけなので、今、ちょっとお話しています。帰りが遅くなるので連絡しました。」
「お話」ということは、たぶんどんどんDの態度と語彙は、硬化および激化していったにちがいない、と思ったら案の定「書道なんて、死ね」と言ったとか・・。まあ、人に向かって使わなくなっただけ進歩、進歩。
そこで、「即効性はないと思うものの、とりあえず冬休みの書初めの宿題にむかって、家で書写の道具を使って、好きな絵でも書いて「こわばりをとる」作戦をやってみます」、とお話しました。
そうしたら、先生がすぐ応用してくださり、「今日の宿題として、おうちで書道でお絵かき」を!そうしたら、ちょっとDの態度は軟化したらしいです。
●昨日の経緯:家で●
いつもよりずいぶん遅く、よぼよぼと帰ってきた彼。
でもお友達が遊びに来て待っていてくれたので、一気に気分が上向いた様子。
夕方、お友達が帰ってから、なんだか嬉しそうに「今日は書道で絵を書いてくるって宿題が出たよ!」と報告。
ついでに今日は詩をノートに作る授業があって、上手にできたらしく暗唱までしてくれた。
???なんか調子いいんじゃないの???
というわけで、今夜の我が家はにわか書道大会でした。
3年生のときは書初めもやったし、学校でも数回道具は使っているはずですが、ほとんど意識に残ってないみたい。でも、道具に対する興味はある様子。
「これ、なんだっけ?」
「墨、すって使うんだよ。学校で使ったこと無い?」
「無い(ここで、墨汁のキャップをとらずに硯にそそぐジェスチャーをもってお返事)
墨、すってみていい?」
「(おお!)いいよ~」
墨をすって、墨が減っていくのがおもしろいらしくて、やる気まんまんです。
でもけっこう力もいるし、時間もかかります。
案の定、途中から「書くために使う墨をすっている」という意識はとんじゃって、「墨をする」に没頭しはじめます。
硯からぱちゃぱちゃ、水がはね始めたのをきっかけに、「そろそろ、どのくらい黒くなった?」と声をかけて、意識を呼び戻します(笑)。
「もうちょっとかなー」
・・・こんな声かけだけで、ちゃんと戻ってくるようになったんだねー、進歩進歩。
っていうか、こういう声かけができるようになったんだねー、進歩進歩>自分。
さて、自分ですった墨で書き始めます。
なんと自分で「字、書いてみようかなー」と言い出し、「青いそら、そら、そらにうかぶ、そら」と書きました。名前までちゃんと書いたよ!
でもそこで「字を書く」という気力は使い果たしたらしく、ガンダム⇒アンパンマンへ
そこで帰宅した旦那が、実は書道大好きらしく、はりきって「D、つかれたら、もうねましょう」とか、「亀」とタトちゃんの絵とかいっぱい書き始めちゃいました。
Dは最初はお父さんと楽しげにやってましたが、名前の2文字を書いたところで頭痛発生。さらに、のってきてしまった旦那が長い時間ひたすら書き始めてしまった。。。こっちはこっちで鬱回復期なので、これも治療のひとつか?と止められず。。。
で、Dは結局、そのまま就寝とあいなりました。
うーん、残念。たぶん、Dは道具の片付けもネックになっているだろうから、最後にみんなで楽しくお片づけまでしたかったんだけどなあ。。。まあ次の機会にしましょう。
●そして今朝●
やっぱり。
頭痛がして起きられません。でも、本人曰く「4時間目から行く」そうです。
今日は週に1度の通級指導のある日で、給食食べたらそっちへ移動なんですが、これが楽しみになっているらしくて、通級は休みたがったことありません。
これから、どういう経緯をたどるかはわかりませんが、とりあえず彼の中の「書道=イヤ」というイメージが少し薄らいで、「大したことねえなあ」になっているといいなあと思います。
●結論●
実は私も筋金入りの書道嫌いなので、「書道なんてなんで学校でやるの?」なんてつい思ってしまいます。時代的に、読み書きそろばんの域からははみ出ているじゃないですか。精神修養とか文化継承とか、そういう意味合いなのでどうしても心が揺れます。
でも、今のDが、一番身につけたらいいなあと思うのは「苦手な課題やイヤな課題が出たときに、適当にやる力」なのです。「うまくできなくてもいいから、適度に力を抜いて、経験自体を楽しめる」ようになってほしいなあ、と思います。
そうすれば、絶対人生過ごしやすくなるぞ、と思うし、そういう経験練習のために「書道の時間」は必要かも、とも思われ(^_^;)。
Dは「適当にやって通る」のができません。力が抜けないので、うまくできない事は「できない」って固まっちゃうんですね。「下手でもいいじゃん」が通じない。
「じゃあ、うまくなるように練習したら」も通じない。練習しているできない自分を見るのがつらいし、人に見られたくないんですね。それで「できない」ってカチンコチンのままです。
「やりたくない」事も「できない」と言うので、よけい周囲からの風当たりは強くなります。
「やりたくない」けど、周囲と摩擦をおこして面倒になるくらいだったら、やるんですよね、私は。
でも、Dはつらいだろうと思うのにそれができない。「できない」ってカチンコチンのまま。
だから、やっぱり「できない」という表現は、彼の状態を正しく表現しているんだと思います。
まあ、調子のよい時で筆が新品だったら、「書道」もここまでこじれず、私もあんまり深く考えることもなかったかもしれません。調子のよいときと調子のわるいときのギャップのなんと広大な事よ、銀河系のごとし(笑)。
「書道の時間、友達とふざけて硯をこわしてしまい、いっしょに廊下に立たされた」なんて、腕白小僧としてのいい思い出じゃーん、みたいになったらいいのになあ。ないものねだりですが・・・
さて、あと15分で11時です。今日がおわればほっと一息の週末です♪
●総括●
彼は、学校遅れていくのに「何時間目になにがあるを確認して、避ける」というこざかしいことを、本当にしません。そういう方法があることに、気づいていないともいえるけど、まあ「邪心がない」ということで。(^_^;)
そして、今回のような対応ができたのも(たぶん方向性はまちがってないと思うんだけど・・・)あらためてこのブログの存在が大きいなあ、と思います。
なにかあると「ブログに書こうっと」と思える状態が、自分をリラックスさせもし、時には冷静さもとりもどさせてくれるという効果があります。
なにより、
発達障害に関してはいろんな方の気持ちやお話を読ませてもらっていること
映画とか、本とか、自分の興味ある話題をたくさん目にでき、意見交換ができること
今まで縁のなかった場所や業界での、お話や生活、事情などなどもかいまみ、また交流ができること
が、小さからぬ力になってくれています。
本当に感謝感謝です。
余裕がなくなると、すぐキャパが狭くなってしまう私を、どうか今後もお導きください。
↓ガンダムはDの作品、アンパンマンとはてなもD、「聞いてない」の文字は旦那です。