昨日は、横浜発達クリニックの吉田友子先生の講演会に行ってきました。
吉田先生といえば、
や
の著者です。児童精神科のお医者さんで、実際の診断やカウンセリングなどは予約がいっぱいで新規受付できない状態という。。。素晴らしい方だと聞いていたので、是非お話を聞きたいと思っていたのでした。
でも、今日は発達障害のことではなく、講演中に出てきた点字ブロックのお話。
私も吉田先生の話を聞いてはじめて知ったことで、うけうりなんですが。。。
点字ブロックを設置するというアイディアは、日本の方が、視力を少しずつ失う友人がいて、それがきっかけで個人的に始められたんだそうです。
最初はいろいろな論議を呼んだでしょう。なかなか認めてもらえず、私財を投じて作成しておられたようです。それが昨年だかおととしだか、「点字ブロックの設置」ということが世界標準になったらしいのです(正確な詳細は忘れましたが)。
転落事故も多かったろう駅のホームに点字ブロックをつけるのがあたりまえ、という判断は、このような痛ましい事故とその後の裁判がなければ、もっと時間がかかったように思われます。この記事中の『従来でしたら、このようなことは「見えない人が1人でホームを歩くのが悪いのだ。」ぐらいで、簡単に片づけられていました。』という一文に、ドキッとしました。
点字ブロックについてわかりやすくまとめられたページ を見つけました。
とにかく言いたいのは、「多数派にとっては確かにメリットは少ないかもしれない。そういうものに税金を使うという事に批判があつまりがちだった時代に、その人たちがより安全に安心して行動できるならば、点字ブロックを設置しましょう」、ということを始めたのは日本人であるので、これは日本人として誇っていいことじゃないかと。
三宅精一/点字ブロック誕生物語
一口に「障害」といっても、ほんとに個々人で、さまざまな困難さを抱えていますよね。
生まれつき持った困難さなのか、途中から持った困難さなのか、どんな種類の支援をどの程度必要なのか。。。また、環境によっては「障害」になったりならなかったり、境界線上にいる人達だっています。
でも、自分をふりかえってみても、正直自分や身内に障害を持つ人があらわれなければ、よくわからないままで終わってしまうのも現実かと思います。
多数派の論理でできている社会なので、どうしても少数派が歩み寄る幅が大きくなって大変だと思いますが、それでもお互いに歩み寄っていくのは前向きな姿勢だし、それしかないように思います。
少なくとも「地下鉄にエレベータつけるなんて、予算がない」とか「点字ブロックを税金で作る?」なんて発言は、おおっぴらにできない時代になったということは、70年代から比べたら前進なんですよね。
障害を持たない人(もしくは現代では障害であると規定されている特性を持たない人?)が、
特性の違う人間が生きている社会で、自分はたまたま多数派に所属しているんだ、という意識を持つだけでも、すごく違った日常風景が見られるようになるんじゃないかと思います。
学校で、そういう教育をしてほしいです。。。
恋愛だって、文化の違う家庭の出身同士、お互いを知ることからまず始めるじゃないですか。そして同棲したり結婚したりして、お互いの違いや共通点、過ごし方を知っていくことで、夫婦になっていくじゃないですか(ちょっと違う?)。
↓旦那が水槽のウィローモスをカット。「草好きだから、いつでも見られるように」って、瓶詰めにして台所の流しに置いてくれました。・・・いつも台所にいろっていうメッセージ?まあ、捨てるのがもったいなかったという理由はともあれ、嬉しいですわ。