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たまたま今日は、ミュージックステーションで「雨傘」とか「HANABI」とか聞いて「おお」と思ったりしたので、久しぶりに歌詞のある歌についてちょっと考えてみました。
「生きてることが辛いなら」 恥ずかしながら、最初この曲がコンビニなどで放送禁止になっていると聞いたとき、「この歌のどこがいけないのか、わからない」と憤慨していました。 でもよく考えたら、それは、私が元気で、この歌に初めて触れたのが自宅で、歌詞全体をインターネットですぐ確認できる状況だったからでした。考えてみれば、だれもがそういう状況や環境でこの歌に触れるわけではありませんよね。 旦那を見てるとわかりますが、ひどい状態のときは、本当になにが状態を悪くする引き金になるのか、まったくわかりません。普通は良い感情を呼び起こすものだったり、本当に思いがけないもので気分が急転直下したりするときがあります。 旦那は今、いいニュースも悪いニュースも見られません。新聞もストップです。子供が楽しそうにしている姿すら、苦しさの引き金になるときもあるのです。調子がよくなれば、それは幸せの引き金になることが多いのですけれど。。。 そして、やたらと私と一緒に行動したがります。寂しいをこえて、怖いんじゃないかと思います。 彼がコンビニにふらっと入り、この歌の一部分だけを、たまたま耳にしたら、ちょっとどっちに転ぶのか、予測がつきません。「最初から最後まで、じっくり聞いてみよう」と思いつくことができて、実行できる気力があるかどうかは、わかりません。あるいはまったく気にならないかもしれません。 「国語力の低下」というのは、最近よく話題にされていることではあるせいか、この曲についての話題でたまに見かけるコメントです。でも、問題はそうではなく、この曲を届けたい相手というのが、そのメッセージを前向きに受け取って原動力としていける力なり、方向性を失っている人が多いということなのね。 そういう事情をよく考え、「誤解されるのは本意ではない」と、コンビニなどでの放送禁止という事態についての、森山さんご本人の態度はすばらしいと思います。「最初から最後まで、ゆっくりちゃんと聞いて欲しい」という要望を、おそらくいろんな分野の人がサポートして、実現していっている今の現状も、珍しくすばらしい状況なんじゃないかと思います。 「思慮深さ」というのは、こういうもので、普通の大人の人はみんな持ち合わせているんだろうな・・・私はまだまだ、いろんなことを、じっくり、時間をかけて考慮する練習をしないといけない、と猛反省しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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