「いじめる」ことについて
前から思ってるし、絶対に言いにくいことだけど、団体のなかでいじめのターゲットになる子は、何か「いじめたくなる雰囲気」があるというか、ある種の「生理的嫌悪感」をこちらに持たせないか?それをどうなくすかっという研究というか考えは、なされているのかな?『いじめる』という事実や『いじめたい』という気持ちに、どんな人でも一度は誰もがかかわっているはずで、でも、みんな罪悪感をもっているから、『なぜいじめたくなるか』ということは明言しないよな。『いじめられた』と言う記憶ははりきってみんな口にするけど(私いじめられたから・・とってもかわいそう云々・・って誰か言ってるのを一度は聞いたことあるはずだ)、『いじめた』記憶は絶対に口にしないよね)「どうしていじめたくなるのか?」とかそういうのについて議論したり、考えたりしないで、口にしたりしないで、ただただ「いじめをなくそう」とか「やられる身になってみろ」とか「見てみぬふりするのは最大のいじめ」とかかんたんに言ってもことばがすべっていくだけじゃないのかな。具体的ではないのだ。「無視することは最大のいじめである、冷酷である」みたいなのがよくあるけど、私にはそのひとことがどうもしっくりこないのだ。例をあげてみると、目の前の罪もない人のアタマをかちわる人よりも、それを見て見ぬふりする人、無視する人は、最大の悪である、ということでしょう。ぴんとこない。だって、とめにはいって、自分もアタマをかちわられちゃったらどうするんだ。「無視は最大の悪」という発想は、「人間は強い、いじめられていない人間は永遠に無事である」という発想のもとに成り立っているように思う。というわけで「無視シリーズ(無視するのは冷酷だとかさ)」はどうも何回聞いても腑に落ちないのだ。言葉では、うん、そうだね、そうだよ・・と思うんだけど、どうも腑に落ちないというか、実感がない。そのうち実感できるだろうけど、おばかだからまだなんか実感ない。たぶん、被害者になってみたら、わかるのだろう。頭をかちわられる立場になってみたら、自分の脳みそになたを振り下ろす人間よりも、無視を決め込んでいる、行った事もない大国に腹をたてる・・という気持ちになるのかもしれない。