大叔母の家で
屋根の修理をするという父についてく。屋根の修理だけは、みんなやめとけやめとけと言いまくる。今年で還暦なのだから。といわれまくる。大叔母「20歳から40歳はそう違わないけど、40歳から60歳までの20年というのはものすごく違う。」このせりふはなんとなく後々まで覚えていそうな話だなあ。と思う。しかし父はやる気満々でドイトに向かい、ペンキだのいろいろ買っていた。「お父さん、別にぽっくりいってもらうぶんにはかまわないけど、要介護になったときに私おとうさんのうんことりたくないんだけど」といいまくるが、「大丈夫」と言う。この自信のもちよう、何かに似ている・・・なんだっけ・・・と思って、考えてみるが、そうか、アレだ。私がひとりで外国にいくときに、周りが心配しまくって、私ひとりが大丈夫といっているアレだ。そうか、父にとっての屋根修理は私にとってのオセアニアだ。と判断。じゃあ、大丈夫か。ということで心配をやめる。ヤンソンさんもいっていたが、心配するくらいムダなことはない。ただでさえ私は心配しがちな人なので、「心配するのはやめよう」というくらいがちょうどいいかもしれない。心配したら屋根からおっこちないというのならいくらでも心配するが、 別にそれは神様のみがご存知だということだ。だいたいほんとにおっこったところで、「だから言ったのに」と1時間くらい延々という人になる気がするなあ。じゃあ、だまってうんこの面倒でもみてあげるほうがいい気がするな。ということで、屋根修理の心配はするのはやめる。で、結局今日は屋根にのぼるには熱いということで、ふすまのはりかえをする。・・・・・私はつくづく思うけど、私は実に3次元の作業が苦手だなあと思う。なんか、大叔母の家で作業してると、なんだか、非常にからだがだるく、貧血のような気分になってくる。ヨコになりたい気持ちに非常になってくる。紙をはがして、はけで水をふすま紙にぬって、寸法どおりに切って・・というようなことが作業一つ一つが非常に重たい。なんだろ、この重さ。そんなにDIYが憎たらしいのかしら。と思う。そんなに貧血なのかしら?と思う。何はともあれ、練習があるので、父に北浦和駅まで送ってもらう。音楽を聴いて、夕暮れに至る前の黄色い太陽をながめながら、おうちにかえって、シャワーをあびて、すっきりすると、なぜかかなりスッキリした。なんだったのかしら、あのダルさ。そのあと、さっぱりついでにカルテットの練習に。「誰もしばらくこないからいいや」と暑いのでしばらくはだか同然の格好で練習する。そのあとびおらっ子を迎えにでかけ、ドトールでごはんを買い、いろいろ話しながらごはんを食べる。なんか、すごいデリケートな話だし、こういうこというと、なんて自分は適当な人間なんだろうかと思うけど、おとうさんという人は、彼女に会えたとき、ほんとうにうれしかったし、待ってたんだなあと思う。心配してたし、彼女のシアワセを願ってたんだなあということがよくわかる。ほんわかしている、ほっとする愛情みたいなのを感じる。そういう空気がまわりにあった。