dear frankieをみた、演奏会とかを考えた
写真は、「きりんさんシドニーで輸送中。」
A giraffe is unloaded from a ship container in Sydney,
http://news.bbc.co.uk/2/hi/in_pictures/7750224.stm
直訳すると、「きりん、コンテナ船からおろされてるところ。」
テレビでdear Frankie(邦題Dear フランキー)を観た。
めちゃくちゃにキャラクターが丁寧にハートウォーミングに
作られており、「物語としてダメになっていいから、
登場人物全員ハッピーになってくれ!」
と思えた。
温かい気持ちになりたいときにみるのに
いい映画だなあ。
男の人はかっこいいし、バックグラウンドの説明なさに
かかわらず説得力のあるかっこよさ、
リジーさんは、あの不安定なかわいさ、
キスしたくなるのにすごい説得力な魅力。
そして、いろいろつっこみがはいるであろう
と思われるところ、
状況説明に細かく細かく賢い小さな説明が
付け加えられており、ロジック的にもなにも文句はない。
DVDのパッケージがちょっとウケるけど。
しかし「1日1本!」と映画を観ようと思ってたのに~。
まあ、これからも映画、観よう。
決意しないとなかなか観ない。
まあ、しょうもない演奏会にいって
がっかりするのよりはがっかりしないか。
しょうもない演奏会って、
連れがいなかったら、立つよな~
と思うことが多い。
つまんない演奏会はばんばん
みんな立てばいいのに、と思う。
日本人は礼儀正しいと思う。
「演奏会で寝たら失礼でしょう」という人がいるけど、
「無料か有料かに関係なく、席に座って
パフォーマンスを見ている、その状態の
あなたはお客さんである。
お客さんはその時間を優雅に楽しく過ごす権利があり、
それは誰のものでもない自由なもの」
であると思うんで、で、有料無料にかかわらず、
身内だろうが知らない人だろうが王様だろうが、
人を呼んだら、逆に、パフォーマーには
「その人とその人の時間を充実させて、
エンジョイさせる義務」が
発生すると思う。
とある演奏会にいって、
「あんな演奏やるんだったら、
もう誰も呼ばないで身内だけでやればいいのに」
とこないだ演奏者本人にいったら、
「え、だって呼んでる人みんな身内じゃん」
とかなり真顔でいわれたので、え、っと思って、
なんだこの違和感は、と思って色々考えるきっかけになった。
プロ意識と呼ばれてるものでしょうか、
それとも単に「パフォーマー根性」と呼ばれるものか。
団体母体がアマチュアかプロか、
社会的に決まっているかとかお金もらってるかとか
そんなことは関係なく、
「パフォーマンスを楽しみにきてくれた人を
エンジョイさせようと決意する意識」というのが
プロ意識、なのかも。
初心者の緊張しまくりアマチュアの
いわゆる「発表会」がダメじゃない理由のひとつは、
奏者が、
「ほんとうにベストな状態でみせたいと思っているから」
だと思うな。そして、
その意識がかなりポジティブにはたらくので、
演奏がその後うまくなったりするんだと思う。
ああ、ほんとそういうパフォーマンスを
演奏会とかだけじゃなくて、
人生を通してしていけたらいいな。
そういう集中力というか意識をもつことって、
ある種のものを無駄使いするのを避けていることに
つながると思う。
「ある種のもの」というのは、人生におけるなにか
きらきらしたすごい大事なもの。