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テーマ:お勧めの本(7406)
カテゴリ:読み物
ビジュアル版 逆説の日本史 古代編 上 は簡単に読めるし面白かった。著者井沢元彦によると
邪馬台の中国古文の発音ではヤマドだそうです。 卑弥呼=天照だが、直系の血統ではなくなった。(神功皇后を経て応神天皇の時らしい)。 大和朝廷の前身が邪馬台国で九州で成立し大和に移動した。京都から東京と同じことだそうです。 天の岩戸伝説は紀元248年9月5日の皆既日食(能登と奥州)。前は158年で近畿、後は454年で九州中部。 卑弥呼は殺され、宇佐神宮に祀られる。二礼四拍手一拝=出雲大社。 倭とは環(=環濠集落)。 後漢の週末に混乱期があり楽浪郡を自立させ政権樹立→中国人が朝鮮半島に逃げ、朝鮮人が日本に押し寄せた。→倭国大乱。武器をもたらした渡来人。武器が倭国大乱を引き起こした。九州や日本海側(鳥取県青谷上寺地遺跡)では激戦があったが、弥生時代に渡来人の痕跡の少ない地域では戦争行為を伺わせる遺跡が関東以北にほとんどない。 大和王朝成立前の王国は、筑紫、出雲、吉備、丹後、ヤマト。吉備国平定の際「温羅」なる渡来系製鉄技術集団と戦闘。丹後の大風呂南遺跡コバルトブルーの腕輪や鉄剣11本。出雲大社約50メートル、本殿内部も横向きで監視。 確実なのは天智陵と天武・持統合葬陵。 今城塚古墳から阿蘇の岩の石棺のかけらが出たが継体は九州と磐井戦争をしているのでへん。 文久の修陵1862年。 3つの古墳を合わせて孝元天皇陵。 明治18年に円墳と方墳の間を土で埋めて雄略天皇陵にした。 学者が雄略天皇陵は河内大塚山古墳ではと指摘すると、大正時代に陵墓参考地にされ 昭和3年には古墳にあった民家はすべて強制立ち退きになり村も消滅。 天武・持統合葬陵の治定を明治に外された見瀬丸山古墳は真の欽明陵らしい。 土師ニサンザイ古墳は江戸時代までは反正陵とされていた。 蜀が短命なのは知ってたけど、魏も45年だけなんだな。 ビジュアル版 逆説の日本史 1 古代編上 / 井沢元彦 イザワモトヒコ 【本】 逆説の日本史(1(古代編 上)) ビジュアル版 オールカラー [ 井沢元彦 ] 【新品】【本】逆説の日本史 ビジュアル版 1 古代編 上 井沢元彦/著 まつら国→いと国の東南陸行500里がすでに方向間違いで、東むしろ北東。 いと国→奴国の東南100里がすでに方向間違いで、東むしろ北東。 だったら奴国→ふみ国の東行100里は北東か北。 ふみ国→投馬国の南水行20日は南東か東。 投馬国→邪馬台国は水行10日陸行1月。 古代王国に当てはめると 出雲は国譲り後なら、 投馬国=吉備王国 邪馬台国=大和 (争った狗奴国=丹後王国?) 降臨の地(誕生の地)高千穂や西都原古墳も興味深い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.02.10 19:30:38
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