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カテゴリ:障害福祉
3つの安心はどれをとっても多くの要素を含んでいるので
一口にこれでよし、とはならないものだ 障害がある私たちは一人一人違うし 個人差も大きい 疾患別分類みたいに、特徴をざっくりまとめたところで 日々の医療ケアにはあまり役立たないかもしれない それはきっと本人、家族が大切にするポイントがそれぞれ個別なためで 医療サイドが設定している「最低スキル」と 本人が満足する「安心ライン」の間の隔たりがけっこう大きいから、と思う 私が一番気にしたのは 「タイミング」だ 吸引も、注入も、顔をふくタオルの一つとっても 全介助のわたしにとって ケアは外から侵入してくるものだった とにかく、怖い! 弱視で周囲の状況をよく判断できない私に 急に前触れもなく降りかかるすべての刺激は怖かった 音も、触覚も、マヒの不随意運動も自分にとっては侵入者だ 視覚障害のある人でも 視覚以外の感覚を駆使して自分の身体感覚を構築できることは素晴らしいことだ うらやましい! 私はただ、そこにいて、何かがやってきて攻撃されないように 身を固くして息をひそめているしかないのに ある時から「人」という何者かが「ケア」を携えてかかわってくるようになった 母や家族が赤ちゃんを世話するのとは違って それは「治療」であったし「保育」でもあり、「教育」であった 私の身体にかかわることに「人」が介在する限り 私はその人物にいのちをゆだねるしかない いい人のケアは心地よく そうでない人のケアは恐ろしくて苦しい それらをもたらす人々がどのようなタイミングで 何をどれだけもたらすのは常に恐怖の対象だった 遠くで大きな音が鳴るだけでびっくりしてマヒが暴れだす私にの心身に それでも医療ケアは命を守るために欠かせないものなのだ 何をどれだけ、誰がどのように与えてくれるのか! その最大の関心事に常に神経を配っていた ケアの人はどれくらい気づいているかな? 声をかけてくれる人はそれだけで誰かがきたことをしらせてくれる 自己紹介してくれる人は私を人として扱ってくれそうだ これから何をするよ、と教えてくれるおかげで体のどこに注意を向ければいいか準備できる そして! 今はけっこう、というタイミングを伝えられる人は最高だ 今はしない、したくない、という選択は大きな自由の一歩なんだ 医療ケアは命に必要なものだけに何より文句なしに優先されがちである たとえ楽しい活動に集中しているときでも きもちよくうたたねしているときでも 授業中でも・・・・エトセトラ ケアを受ける人と与える人との間で 絶妙のタイミングが生まれていく 育っていく 高圧的なケアには従うしかない いい加減おとなになってきたので もう無駄な抵抗はしなくなったけどね( ;∀;) はやくやり過ごしてしまった方がいい 抵抗のエネルギーの無駄使いはしない とはいっても、本当に吸引してほしいときに うんとアピールしているのでテレビドラマにくぎ付けの母にはむかつく 最近耳が遠くなって微細な痰の音のキャッチセンサーがさびてきているようだ そうか、すこしガマンして待ってやるか あ、うん、の呼吸の医療ケアは 長く生活した人と空間がかもしだす匠の技だ ショートステイに挑むにあたり 成育歴から自宅で行っているケアの隅々まで取説を作って説明した それだけでも1時間以上かかった 「私の取り扱い説明書」も時間とともに変化する 今はずいぶん減ったけれど24時間分刻みをスッタフは覚えなければならない そしてミスはできない! それはとっても重い仕事になるよなあ・・・ それでも基本は大事 予備診察を申し込み私を理解するとこらからの始まりだった それからコロナもはさんで いよいよの体験の始まり そこから1年たってのショートステイでした 前置きが長いくらいここに来るまで10年以上の時間を要した 私たちが安心してステイできるにはまだ道半ば でも確実に進んでいる タイミングを大切にしてくれる人となら 恐怖も克服できそうだ 私たちの心の中にちょっとだけ想像力をはたらかせてみてほしい こころを見てほしいんだ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.08.07 09:41:44
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