7月17日は ドラマ、歌でファンを魅了した昭和の大スター石原裕次郎(1934~1987)さんが、この世を去った日だった。
裕次郎さんは、兄の石原慎太郎さんとともに、文藝春秋2024年8月号の特集"昭和100年の100人”に選ばれて、俳優の舘ひろしさんが裕次郎さんを偲び「あと三本映画を」と題しての一文を寄せている。その一部の抜粋である。
✅ 「あと三本映画を」 出典:文藝春秋2024年8月号 365ページ
裕次郎さんはドラマや歌で活躍しながらも、映画への情熱を常に持ちつづけていました。『太陽の季節』『狂った果実』で銀幕のスターとなって数多くの映画に出演し、自らプロデューサーを務めた『黒部の太陽』『栄光への5000キロ』などを大ヒットさせた。昭和三八(一九六三)年に石原プロを設立したのも、五社協定など大手映画会杜の枠に縛られることなく、映画づくりに打ち込みたかったからです。
ハワイで飲んでいたときは、あと三本は撮りたいと話していました。「一本目は俺の映画、二本目はテツ(渡哲也)の映画、三本目はひろし、おまえの映画を俺が撮ってやる」 映画の構想を語る裕次郎さんは心の底から楽しそうでした。僕も裕次郎さんの映画を思い描きながら聞いていました。
三本の映画は撮られることなく、裕次郎さんは昭和六二年七月一七日にこの世を去りました。