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2005年03月25日
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カテゴリ:羽駈羽駈旅行記
毎年3月の中旬~下旬に、渡良瀬遊水地でよし焼きが行われる。3300haという広大な土地のあちこちから火が放たれ、炎が一面を赤く染め、黒い煙が空をおおう。思わず茫然自失の体となる時間である。自分の中の煩悩がすべて天に昇り、魂が浄化されるような錯覚に陥る。その風景は、壮大で、残酷で、清らかで、この世のものとは思えぬほど美しい。そこにある全てのものを、まるで意志があるかのように焼き尽くす炎に、つい見惚れ、時の経つのも忘れるほどの光景だ。

最近では、近隣や首都圏はもちろん、東北や東海地方のナンバーをつけた車までもを、駐車された車に見ることができるほどの盛況だ。カメラマン(プロ・アマチュア問わず)の三脚がずらっと並んでいる光景も、それはそれで壮観なものだ。

今年は3月21日に行われる予定だった。私も、火が放たれるという8時半に間に合うように家を出て、遊水地に向った。8時過ぎに到着した時には、すでにたくさんの車と人があふれ、今か今かと待っている。カメラの準備をおえ一服している人、小さな子供を連れて見物にきた家族連れ、散歩の途中で足をとめた人、慌ただしく撮影の準備をしているグループなどなど、様々な人々でにぎわっている。
この日は、早朝から強い南風が吹きはじめ、中止が懸念されてはいたが、それでもすごい人出で、訪れている人々の期待感がふくらんでくるのが、手に取るように感じられた。
8時40分ころ、生憎の強風のために26日に延期になったことが伝えられ、撮影に備えていた人たちの落胆が伝わってくる。遠くから来ていた人たちは、本当に肩を落としていた。気の毒に...。

さて、明日は26日。私もまたあの壮大な光景を見物に出掛けていこうと思っている。俳句の恰好の句材である。もっとも、見ている間は、俳句のことなどどこかに行ってしまって、ただただ阿呆のように立ち尽くしているだけなのだけれど...。せめて、年に1度のこの風景をカメラにおさめ、天を焦がすかのような生きている炎の様子を伝えられるとよいのだが...。

実はこの渡良瀬遊水地には、悲しい物語がある。
日本初の公害闘争となった「足尾鉱毒事件」だ。江戸時代に開かれた足尾銅山が、明治初期になって近代設備による増産が進められ、ここからタレ流しされた鉱毒が、渡良瀬沿岸の農地を荒し、魚を浮き上がらせ、夥しい動植物の命を犯し、井戸水にまで混入するようになる被害が広がった。
当時、衆議院議員であった田中正造は、足尾銅山の閉鎖と被害を受け続けている人々の救済を求め、国会で政府を激しく追求するが、政府の回答は「被害の原因は不明、調査中、鉱毒流出防止の準備中」であった。その後も田中正造は、政府への追求を続け、ついには明治34年天皇に直訴するに至るが、社会問題ともなったこの事件は、結局解決をみることはなかった。

政府は当時、水害のひどかった渡良瀬川の治水という名目で、鉱毒を沈殿させるための貯水池として渡良瀬遊水地を計画。沿岸に暮らす谷中村の住民を追い出しにかかる。豊かな川の恵みと肥沃な土地で、静かに生活を送っていた谷中村民を、ありとあらゆる手をつかって追い出しをはかり、ついに廃村に追い込んだ。堤防を毀して田畑を水没させたり、8倍もの苛税を課したり、漁具を盗んだり、青年を遊興に溺れさせ戦意を失わせるような手をつかったこともあったらしい。

この間、村民とともに村の死守にすべてをかけて戦った田中正造だったが、家屋の強制破壊などを経て、大正6年ついに村を去らざるをえなくなった。
「谷中村滅亡史」の中の一部にこんな記述がある。
【憐れむべしこれ等無告の人民は、人為の災害によって着るに衣なく、食うに物なきの窮境に陥らしめられ、死せる子を負い、病める親を擁き、蹌々踉々として白葦黄茅の間を彷徨いつゝ、光かすかなる落日の影をおろがみて、有司の冷酷と世の無情とに号泣しつつありき】
膨大な自然を破壊し、人々の健康を害し死に追いやったこの鉱毒事件は、国としての責も人としての情もまったく為されぬままに終りを告げた。昭和48年に採掘量の激減に伴ない足尾銅山は閉山された。
今では足尾銅山跡が日本のグランドキャニオンとして観光地となっている。煙害や伐採によってハゲ山となってしまっただけのことだと想像するが、100年以上も経た現在でも、山に緑はかえってこない。1度壊してしまった自然を取り戻すには、いったいどれくらいの時が必要なのだろうか。
もっとも、富国強兵を叫び産業の発展を第一とした政策がとられていたこの時代。いったい誰が誰を責められるのだろうか。

考えられないほどの犠牲をはらって造られた渡良瀬遊水地だが、現在では近隣の人々の憩いの場であるとともに、洪水時の水量の調節や利根川の最高水位を保つことにも役だっている。また、生きている自然の博物館といわれるほどの自然環境であり、2000種を越える動植物の宝庫として貴重な存在となっている。
渡良瀬遊水地

この長閑な景色の中に、谷中村の人々の辛苦を見出すことは難しいが、遊水地の近辺には当時を語り継ぐように、谷中村の存在跡が残されている。藤岡町には田中正造の像が、遊水地を見わたすように建っている。どんな思いでこの場所を眺めているのか、想像は難しい。

野火の祭典とも思える明日のよし焼きには、またたくさんの人が訪れることだろう。焼け跡の末黒野(すぐろの)の風情もすばらしい。この広大な土地が、時をおかず春萌えに彩られた美しい景色に変ってゆく様も、私たちの心に、時代や季節の移ろいを感じさせてくれる一絵になる。

【野火と野火ぶつかり合うて鎮まりぬ】
【囀りや滅びし村に墓残り】           手塚美佐二句  


ライン木
 

やっと時間がとれるようになりました。
学校では、卒業式・終業式が終り、春休みに入りました。私自身、異動があり、この4月から、共同調理場(給食センター)での勤務が決まっています。学校という職場で、子供たちの笑顔や声に囲まれて仕事をしてきた2年間が、とても短い期間であったと感じています。今後は、子供たちと触れ合うことは叶わぬ職場となりますが、給食を作るという仕事には変わりなく、私なりにせいいっぱい励んでいきたいと思ってます。子供の成長をささえるという意識を忘れずに、志を高くもって仕事をしていきます(^^)
フリーページに載せていた給食のレシピを今後も続けられるかどうか、新しい職場に行ってみなければわかりませんが、できるだけ掲載していこうと考えています。
初めての職場となるので不安はありますが、小学校3校、中学校3校、計三千人を超える子供たちの糧となれるよう、気持ちを新たにはりきっていこうと思います。
引き続き、給食のおねえさん(^^;)の奮闘、応援してくださいね♪                     







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最終更新日  2005年03月25日 13時51分28秒
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