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テーマ:ドライブ・小旅行(1746)
カテゴリ:羽駈羽駈旅行記
埼玉県川越市を訪れた。室町時代に建てられた川越城の本丸御殿なども残る、歴史のある街だ。江戸時代には、北の守りとして有力な大名が配置され、新河岸川の舟運による物資の供給地として重要視されていた。そのため、江戸との結びつきは深く、江戸文化が随所に取り入れられている。川越藩は17万石を誇り、商業の盛んなにぎわいを見せる街として発展していった。
私の住む所からは車で1時間余りの距離。友人とともに3人で出掛けた。朝方降っていた雨も、徐々にやむ気配を見せ始めた9時過ぎに出発。川越に到着した10時半には薄日がさす絶好のお天気となった。 「小江戸」と呼ばれるこの川越市には、歴史的景観を誇る「蔵造りの町並み」がどっしりと軒を並べる一番街という通りがある。江戸の頃、物資の集散地として栄え、商業によって発展してきた街であることをうかがわせる重厚な蔵造りの大きな商家が連なり、しっとりと落ち着いた景観を見せている。 上の写真は、一番街のほぼ中央に位置する「蔵造り資料館」。軒並みこのような蔵造りの家が連なる。電線がないこともあり、まるでタイムスリップしたような感覚になる。川越市のシンボルである「時の鐘」と呼ばれる高い櫓の鐘撞き堂が、ひときわ高くそびえ、1日4度(午前6時、正午、午後3時、午後6時)6回ずつの鐘の音を響かせている。折りよく資料館の2階を見学していた私たちは、蔵の窓からこの「時の鐘」が正午を告げるのを見ることができた。昼間の喧騒の間を縫うように聞える鐘の音は、寛永の当時と同じように「時」を告げる音として、人々の生活の中に溶け込んでいるようだ。 真下から見あげた ここ川越の名物は「さつまいも」。芋料理を食べさせてくれるお店がたくさんあるというので、「ささ川」という料理屋さんへ。「芋ごのみ」というランチの三段弁当を注文。一番上には刺し身、下段には芋ご飯、真ん中の段にはさつま芋を使ったお料理が並ぶ。さつま芋が色々な形に工夫されていて、彩りもよく美味しくいただいた。 川越を訪れた一つの目的である「菓子屋横丁」へ向う。この横丁へ一歩踏み入れると、今度は昭和の時代へとタイムスリップしたようである。明治時代初めから駄菓子を製造していたこの場所は、昭和初期には70軒以上の店舗があったといわれているが、店が減った最近でも独特な雰囲気があり、せんべいを焼く香り、ラムネの文字、だんごの香ばしい匂い、大きな麩菓子、手毬のようなかわいらしい飴など、なんともノスタルジックな気持ちにさせられる。匂いに引き寄せられるように、一件の駄菓子屋に入り、だんごとお茶をいただいた。この建物は、なんと百年以上前に建てられたということだが、部屋の中は昭和の香りに満ちている。右から左に横書きに「ライオン歯磨」と書かれた大きな看板や、昭和十年に開催された川越競馬のポスターや、当時実際に使われていた紙芝居の道具などが、所狭しと置いてある。昭和34年製造の私と同じ年の白黒テレビが、何気なく部屋の隅にあったりする。ちゃぶ台に置かれただんごを頬張りお茶をすすっていると、裸電球の灯りの下で、子供の頃へと戻ってしまったような気がした。昭和マニアにはヨダレを流さんばかりのお宝の山だ。 菓子屋横丁 芋羊羹、芋納豆、芋せんべいなどのさつま芋を使用したお菓子を、漬物屋さんでタマネギ(これはめちゃ美味しい^^)やセロリの漬物をと試食を繰り返しながら買い求め、街並みに感心しながらブラブラしているうちに、なんだか雲行きが怪しくなってきた。3時半というのにまるで夕刻のような暗さ。こりゃあ、来るぞ! と急いで駐車場へと引き返し、車に乗り込むのと同時にどしゃ降りの雨に。もう一つ、是非とも訪れたかった「喜多院」は4時半でしまってしまうということで、今回はおあずけ。食べ歩きに終始してしまったので、時間がなくなってしまったというのが真相だ(^^;) 江戸城から移築された「徳川家光誕生の間」や「春日局化粧の間」、五百羅漢など見どころも多い「喜多院」が時間切れになってしまったのはなんとも残念だったが、川越城跡や数々の美術館など訪れられなかった場所とともに次回に持ち越しだ。小江戸巡回バスというレトロなバスや、半纏を着た粋な車夫が操る人力車にも乗ってみたい。今回は食いしん坊の食べ歩き旅ということで良しとしよう♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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