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カテゴリ:アメリカ生活の日常
「創世記」。聖書の初めに出てくる「旧約聖書」のはじめのやつ。 読んだ事がなくても、名前だけは誰でも聞いたことが一度や二度ぐらいはある、有名なところです。 教会では、礼拝前に30分ほど聖書の勉強会が毎日曜開かれていてそれに参加しているんですが、今日からはこの「創世記」が題材。 この「創世記」、これほど読まれ、これほど引用され、同時にこれほどいろいろな議論を呼ぶ聖書の箇所も少ないでしょう。 一部では、これも含めて聖書の記述は「すべて真実だ」と主張するキリスト教を、非科学的と言って切り捨てる根拠にするのがこの「創世記」でもあります。 まあ、キリスト教だけではなく、この旧約聖書はユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教に共通するんで、今現在でも世界の人口の大半はこれを「信じて」いることになるわけですが・・・。 思うに、これを書いたモーセが神の啓示を元に後述し、それを1000年ぐらい経ってから誰かが書物にした、という経緯があるわけですから、そのどこにでも内容の細部にわたって議論する意味があるのか、ということはあるわけです。 「モーセが受けた神の啓示は、本当の神からのものか?」 「それを口述した時に、内容はモーセが理解できる範囲に限られたのでは?」 「そもそも神の啓示を言葉で表す事自体がおのずと限界があるのでは?」 「それを口伝で1000年も伝えて、内容が変わったり、ゆがめられたりしていないか?」 「それを書いた人は、その内容をどれほど理解していて書いたのか?」 「古代ヘブライ語で書かれた言葉が、現代のいろいろな言語に訳された過程で、言語のもつ制約にどれだけ影響されているのか?」 こういったことを考えると、モーセが神から実際に啓示を受け、それを口述したとしても、その実際の啓示と、今の旧約聖書にある「創世記」との間にどれだけの違いがあるのか、これは誰にもわからない。 しかし、一旦書物になると、それはそれを読む人によって解釈が異なるものだから、幾百、幾千の読み方が可能になる。 たぶん、これはそういう多様な読み方をすることを前提に書かれているんだろう、と思ったほうが良さそうだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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