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カテゴリ:アメリカ生活の日常
まあ、変なタイトルですが・・・・ 子供を持つ親としては、ぜひとも考えなければならないことでしょう。 ともすると、「教育」と名がつくと、「勉強」は「学校」、音楽やピアノは「ピアノの先生」、受験対策は「塾」・・・ 子供に「教える」ということに関して、親の義務を放棄してはいませんか、って。 いえ、自分にも言っているのです。 学校で教えてくれること・・・・、そんなのは、生きていく上で必要な知恵のホンの一部です。「教えてくれないこと」と言ったら、それこそ、山のようにある、という現実を考えないといけない。 人への思いやり、礼儀、誠実さの大切さ、試練に会った時の対処の仕方、お金の使い方、友人との付き合い方、社会生活を営む上で、学校や塾、ましてや「ピアノの先生」に教えてもらえないことなんて、数えきれないほどあります。 というより、学校で習うのは主に「知識」であって、それ以外はすべて別の場で学ばなければならない。 もちろん、「学校」という「社会」の中で生活してゆく中で自然に身につくものもあるでしょう。 でも、そうでないものも多くあります。 昔は、これらを親が子供に教えていたんでしょうけれど、こと「教える」ということに関して、なまじ「学校」や「塾」などがあるがために、本来親が子供に教えるべきことまで、そういった「外部」に押し付ける、もしくは「期待」してはいないか・・・ で、実際に、学校で習った「知識」が、生活の中で役に立つ、ということはあまりない。特に中学以上で習う、数学、物理・化学などの自然科学、地理・歴史などの社会科、オトナになって、その内容を覚えている人がどれだけ居るでしょうか。 覚えていなくとも、社会生活を営む上で大した問題にはならない。 一方、人との付き合い方やお金との付き合い方を知らずに苦労し、問題を起こして取り返しがつかなくなっている人は掃いて捨てるほどいる・・・ なにか変だとおもいませんか? こういうことを教えるのは、本来は親の役目なんでしょうけれど。 残念ながら、親にも教えるだけの経験がない場合もあれば、「正解」をしっているわけでもない。 なにせ、当のオトナたちが日々それらの問題で悪戦苦闘しているわけですから。 でも、経験の中で、「最低限これは・・・」というのはあるハズ。 もしかしたら間違っているかもしれませんが、少なくとも、自分にとってはそれが「真実だった」というような経験。 それを子供に与えるのは、やはり親の義務でしょう。 それを子供がどう受け止め、どう自分の生き方のなかで生かしてゆくか、それは子供自身の問題。 けして強制はしてはいけないし、出来るものでもない。 ヘタをすると反発を生むだけ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.02.27 08:03:44
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