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カテゴリ:仕事の話
1泊2日の岐阜出張。
仕事とはいえ、感銘を受ける旅となった・・・ 今回は、アメリカ人の雑誌編集者による日本文化の取材。 その通訳として私も同行することに。 「日本文化」と一言で言っても、それはかなり広範囲に及ぶ。 従って、この度は焦点を岐阜県の関市と美濃市に当てたそうだ。 関市と言えば、刃物の町として有名。 また、美濃市は美濃焼という陶芸の発祥地。 関市では刀匠の工房を訪問し、美濃市では美濃焼の工房へ。 昨今では、日本の伝統工芸の後継者不足が深刻化していると ニュースなどでよく耳にするが、少なくとも今回訪問した2ヶ所では どうやらその問題もどこ吹く風という感じだった。 なぜなら、どちらの工房でも名人の息子たちが 先祖代々受け継がれてきた伝統をしっかりと守り、育もうとしているからだ。 まずは、刀匠の息子。 まだあどけなさが残る27歳の青年だが、 父親と刀を打つ時の眼は真剣そのもの。 しかし、顔はこわばってはおらず、わずかだが余裕さえ感じた。 そう、彼は微笑んでいたのだ。 自分の生き方に愛情を抱いている者にしかあり得ない表情。 彼はきっと、刀匠の家系に生まれて来たことを誇りと思い、 このようにして跡を受け継ぐことに喜びを感じつつ、 日々修練を重ねているのだろう。 ちなみに、修行期間は約5年だそうだ。 その後、お礼奉公として2~3年加えられる。 この青年が一人前の刀匠となり、いよいよ父親の年齢に達する頃、 どのような刀を打ってくれるのだろう・・・ 美濃焼の陶芸家は、40代ぐらいで、既に跡を継いでいるのだが、 彼もまた自分の仕事をこよなく愛している人物だった。 歴史を織り交ぜながら、美濃焼について語っている時の眼は、 まるで少年のようにキラキラ輝いていた。 「美濃焼に携われること、美濃焼を伝えることが私の誇りです」 と語る彼の言葉は力強く、希望に満ちていた。 また、この陶芸家の工房には「守 破 離」と書かれた掛け軸が飾ってあった。 「伝統を『守る』ことは、今の私にできていると思います。 『破る』ことは、半分ぐらいできているでしょうか。 『離れる』ことは、一番難しい。 古いものから新しいものを作ることなので。 これは、私が死ぬまでに達成したいことですね」と話していた。 彼ならきっと、できるだろう。 美濃焼の新たな境地を開いてくれることに期待する・・・ 伝統を受け継ぐ二人。 片方は来る日も来る日も刀を打ち、 もう片方は晴れの日も雨の日も轆轤(ろくろ)を回す。 作っているものは違っても、伝統を後世に伝える役目は同じ。 そして何よりも、二人ともまず第一に自分の置かれている境遇に幸せを感じている。 「仕方ないから」、「他に仕事がないから」、「サラリーマン生活が嫌だから」などの ネガティブな理由で家業を継ぐ決心をしたのではない。 むしろ、「この家の息子で良かった」という感謝の念と 「先祖の技法と父親の腕をいつか越えてみよう」というチャレンジ精神の元、 一般的ではない生活に足を踏み入れる決心をした二人なのだ。 今後、彼らの手によってどのような作品が生み出されるのか? 「伝統」という世界での創造者として。 いつの日か各自が作り上げた名刀を、また名器をどこかで目にする日がきっと来る。 その際、この出会いを通して受けた感銘を改めて感じるのだろう・・・ そんなこんなを考えながら、岐阜を後にする私がいた。 多少、名残惜しさを感じつつ。 ******************************** 訂正: 11月30日の日記にて、「某雑誌編集長」と書きましたが、 「編集者」のタイプミスでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年09月07日 11時51分15秒
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