ごめん、今日の日記・・・7000文字を越えてるわっ!(驚)
***********************************************
私の願いが天に届き(?)、湿度が比較的低くなった本日。
連日「暑い、暑い!」と文句を言い続けたのだから、
神様も「ここらで少し楽にしたろかぁ~?」と、
なんて粋な心遣い(まったくの思い込み!?)。
ということで、窓からの爽やかな風を受けつつ、
このブログを書いているのだけど。
月曜は、ほんと暑かった!容赦ない湿度と、焦げるような太陽。
大阪は地獄の釜よりも酷かったのだが、そんな中、
スーツ着用でいってきましたよ~!
ご存知の方も多いかと思うけど、今週末から大阪で、
あるスポーツの大会が開催される。
3日前の月曜に、その大会関係者(理事の方々)の
晩餐会が大阪の某所にて行われ、今回はそこでのお仕事だった。
ゲストの面々は、日本人は勿論のこと世界各国から来ていたので、
司会は日本語と英語で行われた。
日本語の司会は某テレビ局のアナウンサーが担当し、
私は何をしたかというと、その方と一緒にステージに立ち、
その方が日本語で話したことを英語で通訳したのだった。
ステージ上から会場を見渡すと、来場者の多くは
テレビで見たことある人たちばかりで、例えば、
前に外務大臣だった政治家の大御所。
“鳥人”と呼ばれた旧ソ連出身で世界記録保持者の元棒高跳び選手。
「自分で自分を褒めたい」との名台詞を残した元マラソンランナー。
それと、市長さんも来てました。とても素敵な感じの奥様と。
ってなワケで、ミーハーな私はウハウハだった。
仕事中にもかかわらず、勿論声には出さなかったとはいえ、
「おっ!あの人だ!」と、ドキッとしちゃったり。
以前の私なら緊張で周りが見えなかったこと多しだったけど、
そんな余裕が生じたのなら、「私も少しは成長したのかな・・・」
なんて思ったりなんかして(いや、ただのミーハーだけなのかも?・・・笑)。
さて、フォーマルな会ということもあり、壇上でスピーチする方々もいて、
その人たちの通訳はまた別の通訳者たちが行ったのだけど。
一人、本当に輝いていた通訳者さんがいた。
彼女はおそらく私より10歳ぐらい年上で、
見るからに長いキャリアの持ち主。しかも、美人。
そして、すごくフレンドリーだった。
会が始まる前に、ステージ脇で待機していた私に笑顔で、
「abimegさんは、どこから来たの?」とか、
「暑いのにスーツって大変よね!」など、ほんと気さくに声を掛けてくださり、
雰囲気がとてもソフトで、好感の持てる人だった。
しかし、仕事をしている彼女はキリッとしていて、
その姿は“見事”の一言に尽きていた。
彼女が通訳した方は理事の一人で、おそらくアフリカ系だったのだが、
私が未だかつて耳にしたことないほど訛りが酷く、
「もう英語を諦めて、母国語で喋ったら?」とツッコミたくなるほど。
けれど、通訳の方は終始落ち着いてて、流れるように日本語へと訳した。
後で彼女とお手洗いで鉢合わせした際、
そのスピーカーの訛りの酷さについて話したのだけど、
彼女も「あんなにとんでもない英語は初めて!」と笑いながら言っていた。
にもかかわらず、本番では動揺することなく、しかもまったく間違えずに
通訳したのだから、ほんと“これぞプロ”って感じで、大したものだ!
余談だけど、“質の高い仕事をする通訳者”の条件はたくさんあり、
語り出したらキリがないけど、スキル面で言えば、
“間をあけない、詰まらない”ことが最も重要な要素の一つだと私は思う。
つまり、語る人と通訳者がまるで一つの人格のようになれば、
相手側は心地よく聞くことができるし、すべてがスムーズに運ばれるからだ。
この通訳者さんはまさしくそのようなプロ素質の持ち主で、
しかも腰が低く、気さくで、話しやすい雰囲気で。おまけに綺麗し・・・
彼女のすべては、私が10年後に通訳として“なりたい姿”そのものだった。
「どこのエージェントから派遣されているのだろう?」と不思議に思ったので、
彼女に聞いてみると、某大手会社の名前を挙げた。
やっぱりね・・・
そのエージェントは、通訳を目指している人や現役の人なら
誰もが知っている名前で、そこから仕事をもらえるということは
ステイタス以上に、通訳者としてトップの仲間入りを果たせたと同然。
なぜなら、その会社が扱う仕事は官公庁関連を初めとし、
国内で開催される主要イベントの大半なのだから。
実は、私がフリーランス生活を始めた当初、そこに履歴書を送ったことがある。
一向に返事が来ないので、諦めていた頃に、
「申し訳ございませんが、当社が必要とするレベルに達しておりません」
とのメールが来、文字通り“けんもほろろ”に断られてしまった
苦い経験が私にはある。
だからこそ、その通訳者さんと出会い、彼女の仕事ぶりを拝見し、
本当の意味での“プロ”は何かを再確認することができた。
さて、問題なく晩餐会が終了し、一緒に仕事をしたアナウンサーや
関係者の方々に挨拶をしてから、会場を後にしようとした私。
すると、ある女性がこちらに向かって歩み寄って来た。
「私じゃないだろう・・・」
こんなところで私に用がある人なんていないので、
とそのまま歩き続けようとすると、「abimegさんですね?」
その女性が声を掛けてきたのだった。
「abimegさんは、どこかの専属ですか?」と聞かれたので、
「いえ、フリーランスです」と返事した。
「まったくのフリーランスですね?」と念を押されたので、「はい」と答えた。
すると、その女性は「私は、ここの通訳コーディネーターなのですが」
と言いながら、一枚の名刺を差し出た。それを受け取り、社名を見ると・・・
そこに書かれていたのは、あのエージェントの名前だった!
そう、私が数年前に見事に断られてしまった会社!
そう、この日に出会った私が理想とする通訳者さんを派遣したところ!
感動しすぎて声にならない・・・
その瞬間の私は、おそらく目が潤んでいたに違いない。
「今日のお仕事を拝見させて頂きました。
フリーランスの方って、複数のエージェントに所属しても構わないので、
もしよろしければ、うちにも登録しませんか?」
その時点で興奮度MAXだったが、私は懸命に高鳴る胸をおさえ、
「はい、ありがとうございます。お声をかけて頂き光栄です」と
至って落ち着いて答えたつもりだが、おそらく声は震えていただろう(笑)。
この晩餐会通訳の仕事だけでも、久しぶりにワクワクできるものだったのに、
最後の最後に思いがけない感動が待ち受けていて・・・
帰り道、電車の中でふとここ数ヶ月の自分を振り返ってみた。
忙しさに追われ、まるでロボットのように無感情で
ただ淡々と仕事をこなしていた私。
フリーランスになった頃は今よりももっと苦しい状況だったのに、
あの頃の私のほうが、日々感動をもっと身近に感じていたのだ。
しかし、人間というのは贅沢で、やっと手に入れた状態を
すぐに当たり前に思ってしまう。
これは、危険なのだ。
なぜなら、私は思う。
感動なくしては、何のために仕事してるの?何のために生きてるの?
そして、私の場合、何のためにフリーランスになったの?
勿論、仕事というのは、まず初めに自分の生活を確保すること。
しかし、それと同じぐらい重要なのは、どんな夢でもいいから
とにかく、それを追い続けることなのだ。
ガバイばあちゃんが言っていた。
「夢とは、まず見ることが大切。」
でも、ここ最近の私は、忙しさに追われていて、夢を見なくなっていた。
忙しさを理由に、「忙しいから・・・」をイイワケに。
そんな私は自分に負けていた。
夢を見なくなると、感動がなくなる。
感動しなくなると、ただの“機械”になってしまう。
そして、自分に負けてしまうのだ。
牛舎よりクサイ台詞をたくさん吐いているようだけど。
くさくて何が悪い?理想主義的発言で何が悪い?
無感動になることがもっと恐ろしいことなのだと私は思うのだ。
そういうことを思い起こさせてくれたこの日は、私にとって再出発の日。
憧れのエージェントに声を掛けて頂き、登録できたのはこの上ないことだけど。
それ以上に、“感動”し続けるという大切さを再認識できたことが
私にとって一番の収穫だったのだ。