|
カテゴリ:仕事の話
私は、アラジン。私には、ジーニー(ランプの精)がいます。
(はい?気は確かかって?大丈夫!頭打ったワケじゃないからね(笑)。心配ナッシング。まあ、最後まで読んでくださいな。って今日は、マジ長いよ~。ごめんね!) このブログのプロフィールのページを読んで頂ければ分かると思うけど、私がアメリカの大学を卒業後、帰国してから最初の就職先は、某外資系ホテルでした。そうよ、以前は(ってか、かなり前だけど)ホテルウーマンで、フロントに立ってたんだからっ!とは言え、そこで働いていた期間はたったの一年間。と言うのも、そのホテルは外国のお客様が多く、各種イベントや会合でも利用されることが多かったので、同行していた通訳の方の姿もよく拝見していました。すると、私の中で、「通訳になりたいなぁ~」という、それまでまったく感じていなかった気持ちが芽生えたのでした。さあ、なりたいと思ったら、行動に移すしかない!けれど、私には大きな問題が一つ。なぜなら、働いていたホテルってのが、最高の職場だったから。今でも断言できます。後にも先にも、あんなに人間関係がワンダフォ~だったところはありません。 当時、私はアメリカから帰ってきたばかり。それまでの私の人生は、インターナショナルスクールの頃からずっと、英語どっぷりの生活で日本語を話すと言えば、家族と関西弁を話すだけ。だから、喋れるとは言え、それが果たして綺麗な日本語を話せるかというと、ものすごくダウトなワケで。よくもそんなヤツを雇ったわねぇ~、しかもホテルの顔と言えるフロントに立たせたなぁ~、と未だに不思議に思います(笑)。だから、最初は言うまでもないけど、ものすごくつまづきました。上司に怒られる毎日。いや、怒られるなんてちょろこい言い方はそぐわない。文字通り、怒鳴られましたからっ!ホテルの人ってお客様の前ではとても上品な対応をしているし、私の勤め先も例外ではなかったけど。お客様がいないところでは、超体育会系で。私が女の子だろうが、新卒だろうが、帰国して間もなかろうが、そんなことお構いなく。死んだほうがマシと思うほどの勢いで怒鳴られました。その頃の私は、英語を頭の中で日本語に変換し、話してたような感じだったので、そんなことすると、当然ながら話す日本語がとてもきつく聞こえたのです。それが大問題で、たくさん怒られちゃいました(笑)。 勿論、怒られたり、怒鳴られたりすると、私だってヘコみます。「このクソ野郎、わら人形で呪ったるねん!」と、一瞬は心の中で毒づいていました。けれど、すぐに。そんなバイオレントな感情もさ~っと消えていく。なぜなら、上司や先輩の方々は、とても愛のある怒り方をしてくれたから。怒鳴っている時は、とことん怒鳴る。けれど、私が「すみません・・・」と言うと、すぐに「abimegは育った環境が違うからなぁ、難しいことやと思うけど、一緒に頑張ろうなぁ」と、励ましてくれるのです。そして、何事もなかったように、接してくれるのでした。 チクチク、ネチネチ系の怒り方は、怒られている相手の中で、恨みと化してしまいます。自分がどんなに悪くても、ありがたいなんて到底思えなくなるほど打撃を受ける。しかし、ササッと要点だけを指摘し、最後には笑顔で締めくくる怒り方には正直、救われたような気がします。ものすごく温かい。一瞬、「怖っ!」と思っても、すぐに感謝の気持ちが沸いてくるのです。私は、この経験でとても大切なことを学んだように思えます。 だから、そのホテルで働いていた一年という短い間、私は結果としてものすごく楽しい時間を過ごすことができた。日本語のほうも、日に日に上手くなっていき、上司たちや先輩方も、「おっ~!上手くなってきてるやん!やるやん!」と褒めてくれました。褒められるとすぐに調子に乗る私。そんな私の特徴も、彼らはよく把握していたのでしょう(笑)。 さて、通訳への道を進むと決めた私。そうなると、このホテルを辞めることになる。迷いはなかったけど、正直とても辛かった。けれど、今辞めなければ、私はここでの人間関係の心地良さに甘えてしまい、ずっと居残ってしまうだろう。ってなワケで、腹をくくりました。私って結構、後ろ髪を引かれないタイプで、ある意味そういった冷たい部分があるのだけれど、この時だけは・・・泣きました!退職の決意を伝えた時も、上司の前でボロ泣き。その上司の方がまた、泣かせるようなことを言うんだよねぇ。だから、余計に泣いてしまって。送別会も2回も開いてくれました。一度は、親しい同僚と。そして、二度目は、フロントのスタッフ全員が開いてくれた送別会。ご存知か分かりませんが、ホテルマンやウーマンって、ものすごく忙しいんです。なのに、ほんの一年しか在籍しなかった私のため、そこまでしてくれて、なんて温かいのだろうと感動しました。 それから、約10年という時が流れ、現在に至ります。その間ずっと、「いつか、ちゃんとした通訳になったら、あのホテルを訪ねてみたい」という強い気持ちが私の中にありました。それまで何度も、そのホテルの前を通ったりしたけれど、「まだ、行けない。もうちょっと頑張ってから」と思い、足を踏み入れることはできなかった。だって、お世話になったのだもの。素晴らしい思い出を作った場所なのだもの。中途半端な私を見せるワケにはいかないでしょう?やっぱり、目標を達成した、成長した自分の姿を見て欲しい。おそらく、この10年間。それが、私のもう一つの夢となっていたのでしょう。 と・・・ ここまで長々と書いてきたことを、つい最近。私にとってジーニーのような存在の方に語りました。そして、「もう一つの夢」について、これは誰にも喋ったことがなかったのだが、ジーニーに話ました。 すると・・・ 叶いました!ジーニーに話した数日後。いつもお世話になっているエージェントから某イベントの通訳のお仕事の依頼が来て、場所を聞くと、なんと!私の最初の勤め先でした。今なら、訪ねて行ける。今なら、大丈夫だと思う。ただ、私には、きっかけが必要だったのです。 昨日、私はそのホテルに行ってきました。ものすごくドキドキしながら。勿論、当時の同僚や先輩、上司など転職したり、寿退社したり、去って行った人は多くいるのは知っていた。しかし、私がどうしても会いたかった人。つまり、私の直属の上司。せめてその方との再会を果たすことを、心より望んでいたのです。 少し早めに到着した私は、ロビーに足を踏み入れるや否や、フロントのカウンターへと目をやったところ、その方が立っていました。すかさず、その元上司のほうへ進み行った私は、「お久しぶりです、abimegです。覚えていますか?」とご挨拶。すると、その方は一瞬、ものすごく驚いたような表情を浮かべた後、「おぉ~!すぐ分かった!全然変わってないやんかぁ~!」と。そして、「日本語、上手くなったかぁ?」と聞かれました(笑)。私は、「上手くなりましたよ、おかげさまで。ここでは、ものすごく訓練して頂きましたから」と返事。そして、手短に自分の近況を述べ、名刺を渡しました。「あの頃、23歳ぐらいでしたけど、もう33歳ですよ」と伝えると、元上司は「時間が経つのは早いなぁ」とかなりビックリしてました。ちょうどその時、カウンターが忙しくなって来たし、私も仕事の会場へ行かなければならなかったので、ほんの数分しか話せなかったけど、よかった。本当に、よかった。 仕事自体は、無事に問題なく終えることができました。帰り際、もう一度フロントに寄ると、チェックアウトが重なる時間帯だったので、本格的に忙しくなっていました。私は、「帰りますね、また来ますね」としか伝えられなかったし、元上司もうなずくことしかできなかたけど。これも、これで。よかった。本当に、良かった。 久々の再会というものは、必ずしも涙にむせぶような体験ではありません。むしろ、ものすごく自然。毎日会っている者同士の会話のようです。10年という時間は、お互いの間に存在しない。そういうものなのです、会いたかった人との再会とは。そして、それでいいんです! ってなワケで、私はアラジンで、私にはジーニーがいます。 よく耳にする話では、悪い夢はたくさんの人に教えると、正夢にはならない。その反面、良い夢は決して人に話さず、自分の中で大切にすると、いつか叶う・・・と。けれど、私は思います。叶えたい夢があるなら、どんどんと話してもいい。勿論、言いたくなければ別だけど、話す分には何の問題もない。特に、自分にとって大切な人や、自分のことを理解しているに話すと、その人がジーニーになってくれて、叶うんです。 私も、誰かのジーニーになりたいと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年11月22日 19時20分24秒
|