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あれー過去の日付に戻って日記記入できないの?
これは昨年12月26日の日記です。 DAY 3 アーナーパーナー瞑想 昨日のデレク氏との面談でちょっとだけ気分がラクチンになった私は、本日ひとつの策略を胸に秘めルーティンをこなした。どんな策略か?それは「夜のディスコース(講義)を英語バージョンで視聴する」なのであった。なんでまた?というと、こういうワケです。毎日瞑想を進め、日々少しずつ前進してゆきますが、いかんせん「テープによる瞑想指示vsそのとおりに実践する自分」という構図しかここには存在せず、質疑応答とかアドバイスとかそういったインタラクティブな確証確認が希薄になると、不安や諦め、放棄などが発生しかねないってことで。それを避けるためにもゴエンカ氏によるありがたい「夜の講談」の時間が設けられている。これはテラワーダ仏教のやさしい入門編も兼ねており、また当然私達が日々奮闘しているこのヴィパッサナ瞑想の様々な観点による思想や意義の説明もしてくださるので、ま、ちょっとしたオアシスのようなひとときであるのです。が、ですよ。この「夜の講談」のオリジナルはゴエンカ氏による講談のヴィデオテープ(by英語)なのだが、日本人はそれを「女性による日本語訳の朗読テープ」バージョンで聴かなければならならず、そしてその朗読のトーンはとてつもなく表面的・機械的・非人間的で押し付けがましく説教臭いシロモノなのであった!!!5分も聞けば反発感でイッパイになり、ザケンなテラワーダ仏教なんてクソだ!と叫びたくなるような、ま、そんな感じ。で、これって絶対間違っている!と直感した私の推測は「ゴエンカ氏によるオリジナルビデオはもっと重み深みがあるはずだ」さもなきゃこのチャリティベースの団体が全世界で人々に支えられているわけがない!とマットウなもので、よってそれを検証すべく今夜は別棟で行われる外国人用の「夜の講談」に参加しよう!とうのが本日の策略なのであった。 さておき、肝心なのは策略なんかより瞑想そのものだ、というのが事実。本日3日目はアーナーパーナー瞑想が更に続き、意識のもっていく場所が「下唇を底辺とし、鼻腔の入り口を頂点としたちいさな三角形(正確には台形ですね)」と昨日よりもっともっと狭く小さな範囲に限定される。「鼻の下・上唇の上」へ意識を集中させること終日、10時間。これはね、ちょっとした洗脳と同じですよ。もう体全体がこの「鼻の下・上唇の上」だけでできているかのような錯覚、というか「もーそうなの!それ以外ありえないの!」っていう幻覚。この限られた部位の皮膚、粟立つ皮膚、波打つ皮膚、風を作り出す皮膚、汗を流す皮膚、思考する皮膚、蠢く皮膚、もはや私のものではない皮膚、痛みを作り出す皮膚、安らぎを感じる皮膚、変化続ける皮膚、あ、やばい、アニッチャ・アニッチャ・アニッチャ・・・。非日常環境に身を置き継続的な肉体行為/刺激で麻痺感覚がなされた脳内サイケデリア状態で何かを吹き込まれたら、私でも抗えないっす。平気で自然とアニッチャをひしひし感じてしまいました。あ、でもそれ以前にここまで真面目に集中して修練してるヒトってまれなのかもしれないけど。他の参加者のアタマのなかってどうなってたんだろう?ともあれ、明日からはヴィパッサナー瞑想だからキツイよ、あんまり飛ばしすぎないようねに!と女性チームのマネージャーであるケイコさんに言われ(グループ瞑想の途中で下痢激痛でトイレへ駆け込んだ私を追ってきてくれた・・・さぼっってんじゃないか?というチェックでもあったんでしょうけど)午後の後半は集中ゲームもほどほどに、自分を追い詰める癖を押さえリラックスを努めた。うーん、とたんに寝ちゃうんですけど、私の場合・・・。 3日目ともなれば1日の流れにも無理せずカラダが慣れてきて、緊張とか不安とか張り詰めたものは幾分か軽減した。ただこれまで毎日行っていたヨガの練習ができないのが辛くなってきたので、ヨガは禁止事項に含まれていたのだけど、「いや、これはヨガではなくてストレッチなんですよ」と言い訳できるポーズを休み時間にすることにした。ヘッドスタンドとかハンドスタンドは(最初のうちは)遠慮して、座って行う前屈形をまったりと・・・。あと、何故か後屈系が無性にしたくなり(アシュタンガのプライマリーシリーズでは後屈あんまりやらないのに変ですね)キャメルのポーズとかでお茶を濁しました。後になって思うとこの習慣はとても良かった。1日中瞑想ポーズで座りっぱなしって、やっぱりカラダ鈍りますもん。毎日のストレッチ(という名のヨガポーズ)はガチゴチになったカラダをいい感じにほぐしてくれ、これ以降全てにおいてかなりラクチンになったのだ。ヴィパッサナ参加される方には思いっきりオススメしますぜ。 あ、そうだ策略の件。思ったとおりゴエンカ氏によるオリジナルの講談ヴィデオは「バチ・グー」でした。ゴエンカ氏のユーモラスでなおかつ温かみ溢れる慈悲深さが言葉の端々に、表情のひとつひとつに溢れ出ており、「あー、いい話し聞かせてもらったわー」とシミジミしました。と同時に「なんすか、あの日本語訳の朗読は!」というイキドオリが胸イッパイに溢れてきたのだが、誰にも言えずひとり悶々と心に留めておくことにした。(しかし後日聖なる沈黙解除後はガンガン言わせてもらいましたけどね。それだけに飽き足らず東京帰ってからメールで抗議文まで出したぞ)そんなこんなで、明日からのヴィッパサナー瞑想にドキドキワクワクの期待を抱え眠りについた。でもまだ寝つき悪い。 次の日(DAY4) もくじ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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