テーマ:YOGA(39)
カテゴリ:YOGA
「なんかオススメのヨガ本ある?」って聞かれることがある。相手のニーズが曖昧でナントナーク系なことが殆んどなので「私に聞くより本屋行って探せば?」的回答を婉曲にすることにしている。これは別にイジワルでもなんでもなくて、Isn’t that the way it should be?その方が絶対本当じゃん、っていう、それだけの話。
別にヨガ関連の本に限らず、「探す自分とそこに鎮座してワタシを待っている本」という構図は歴然と存在しているのではなかろーか?しかしまたひょっとしてそれは、探す努力を怠る人達にも天からの恵みのように降って沸いてくるのだろうか?(ナンカソレッテズルクナイ?)という鼻持ちならない疑問もある。本屋へ足を運ぶことも、アマゾンで検索することもなくとも、If you’re the one who’s soul sincerely seeks “it”真剣に探求している自分がそこにあれば、It will come!それは向こうからやってくる!なーんて思想はステキだけど、少なくとも魚が食べたかったら部屋でボーっとしないで、海か川か魚屋かレストランへ行くでしょうよ、ってことです。(なんかボケた例えだな) いやいや、むしろ本というのは探すというより、You don’t search a book really, you rather “meet” a book in a sense「出合う」ものなのではないか?これは以前ゴビンダ・カイ氏に「ヨーガ・スートラのお勧め本はないかね?」と質問した際に言われた台詞なのだが(あちゃ)、確かにそのとおり。ふと立ち寄った古本屋で買った一冊の本が運命を変えることだってあるわけで。思い起こせばワタシも人生の指針を変えたいくつかの本に出会ってきた。それは決して先生や親や友達から「薦められて」読んだ本ではなく、評判とかベストセラーとかとも関係なく、なんとなく本屋や図書館で「出会った」本ばかりだ。 そしてA funny thing is面白いことに、とあるひとつの同じ本に対して、適切な時に出会わないと、それはまったく意味をなさないのだ。いくら素晴らしいパワー溢れる本を読んでも、When you are not ready yet自分がまだその準備ができていない段階だったらYour reception won’t be tuned for the frequencyそれを受容するセンサーが正しく機能しない。せっかくの言葉=言霊の波動もパワーも愛もエネルギーも、レセプション不具合により「なんでもないもの」として自分の中を通過していってしまうだけ、Oh God! (Oh Buddha!) 嗚呼!つまり出会う確率も、そのタイミングもどちらも大事。そしてそれを「稀有なる偶然の出会い」と捕らえようが、「イコール必然の運命」と捕らえようがAs you likeご自由に。 I’m not talking about only books hereあ、これって別に「本」に限定して言ってるんじゃなくて、it can be music, films, art, dance, travel, diving, sex, drug, body-piercing, tattoo or whatever, you name it音楽であったり映画やアートや舞踊や旅やダイビングやセックスやドラッグやボディピアスやタトゥであってもいいんです。当然2006年2月現在のミワユミコさんの書いてることですから、ここで「ヨガ(単なるアーサナを指すのではなくトータルなココロの科学としてのヨガ)」とか「瞑想」とか「グル」とか「ソウルメイト」とかのキーワードを挿入しちゃいそうですが、そういったものであってもいいんです、as long as it gives you 「うわ、ガツーン」と(程度の差こそあれ)ブッ飛ぶ体験させてくれる、and新しい展開の始まりとなる、that sort of 「それ」との出会いであれば、ね?大事なのは経験的な意識変容、そして人生に対する姿勢や哲学の再構築、つまり自分の内で実際に起こる「小さな死」と「再生」のドラマ。そのキッカケをもたらすモノ・コト・ヒト。その出会い、タイミング。アタマの知識として情報をインプットするんじゃなくて、ハートでキチンと体験できるモノ・コト・ヒト。その出会い、タイミング。With or without knowing, we are all living through a big series of “accidental miracle = determined scenario”私達は知らずとそういった「稀有なる偶然の出会い=必然の運命」のシリーズの只中で生き続けているんだね、うん。 なんでこんな事書いてんのかというと、最近”autobiography of a yogi(あるヨギの自叙伝)” を読み終えて(日本語・英語共に)、ムッチャクチャ感動、心バクバク、涙ボロボロ、スリリングでミステリアスな精神の旅の過程にワクワクし、込められた愛とエネルギーのそのパワーにノックアウト!と、もう久々に熱中したからなのだ。(ま、ボラカイで無為な日々を送り退屈していたからでもある)。で、この本、かなり以前から(ヨガを始める前から)本屋の「精神世界・ニューエイジ・オカルト」セクションで物色中に何度も遭遇しては気になっていたのだね。特に表表紙の「なんかブッ飛んだナルシストみたいなクライスト似のポートレイト」のインパクトが強くて、何度も手に取っては「うーん、胡散臭いにゃー」と何度も棚に戻したりしてた事実を思い起こした。で、実際になんでまた読む気になったのかというと、東京でのヨガ師匠を始め、色んな人に「絶対気に入るよ!」と熱狂的に薦められ、なんとなーく紀伊国屋で購入しちゃったからなのでした(しかも日英両バージョン)。立ち読みでパラパラと視覚に入れた文章と同じものをワタシは読んでいるのか???と愕然とする程「濃ゆーい、奥深―い、熱―い」内容と文章。「文章の力」というのを久々に感じました。(日本語訳でも充分感じ取れますが英語を解する方はオリジナル原文を是非!!!)今世紀初頭に始めてヨガを西洋へ紹介したヨギ、パラマンサ・ヨギナンダの奇跡に満ちた人生の軌跡を、美しく愛に満ちた文章で書き記された「古典的名作」です。ここで内容をワタシが記して、それが他人のアタマに情報としてインプットされちゃうのは「ちょっと違う!」と思うので、内容は割愛します。興味を持たれた方は一読して「体験」してください。一昔前の私だったら「あまりにも非科学的!ナンセンスざんす!」と糾弾するであろう内容であることは確かです(笑) そしてついでなのでもう1冊、似たような経緯で私のバイブルと化したのが”Be Here Now(ビー・ヒア・ナウ)”ラム・ダス著。これは知ってる方多いでしょう。私は10年以上前のプー太郎時代に図書館で借りて読んでました。が、アタマで読んでました、つまり、60年代アメリカのカウンターカルチャーのカリスマ、精神世界へのドラック的アプローチ、という眼鏡をかけて読んでたってことです。ま、それなりに愉しんだことを思い出します。ところが、昨年ヨガを始めてからの精神世界関連BOOKS探求の旅(単なる本屋めぐり)の途中で再会し購入。うわー、ガツーン!やばやばです。これまた、愛とバイブレーションとエネルギーに満ち満ちており、一文読んでは感動で涙ボロボロ、ハート直撃の爆弾的マスターピース。以前読んだ時とは別の次元でココロの琴線に触れまくって殿堂入り。この道程を歩む者のひとりとしてココロの糧となりうるバイブルです。生き様はブッチギリに破天荒だし、言ってる内容もぶっ飛んでるし、文章もカッコイイ!グルービー!イエイ!思わずハイになっちゃいます、ピース!全文これ全てオススメなのですが、なかでもお気に入りをここに。 THE NEXT MESSAGE IS WHERE YOU ARE WHEN YOU HEAR THE NEXT MESSAGE. WHENEVER YOU’RE READY YOU’LL HEAR THE NEXT MESSAGE. THE INTERESTING THING IS THERE’S ALWAYS A NEXR MESSAGE AND IT ALWAYS AVAILABLE TO YOU. NOW! THAT’S A HARD ONE! THE HANDWRITING IS ALWAYS ON THE WALL SAYING: MAGIC THEATRE FOR MAD MAN ONLY PRICE OF ADDMISSION=YOUR MIND ALWAYS THERE. QUESTION IS : CAN YOU SEE IT? (Ram Das, Lama Foundation “Be Here Now”) いずれにせよ、上記2冊の本は共に知名度の高い名作として、いつでもそこにあり、過去に触れたこともあったけれど、その時は私の受容装置が正しく機能していなかったため肝心な部分が見えてなかった。そして最近になってこの2冊を再読し、自分の内部への浸透度が以前とまるっきり違うのに驚くとともに、ああ、いま・これが「適切なタイミング」なのだなぁ、と痛感。人生ってそんなものなのかもね。面白いね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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