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「よっ、ゆみちゃん、おつかいかい?えらいねぇ、これはおまけだよ、もってきなー」裸電球と秤とソロバンと軽口。近所の横丁の八百屋さんはいつの間にか姿を消し、蛍光灯の明かり眩いスーパーマーケットにとって変わった。別に珍しい出来事ではない。近所の空地がなくなってゆくのと同じように、野良犬や野良猫の軋轢死体が道路から消えてゆくのと同じように、昭和40-50年代の東京のアチコチで、高度成長という一大プロジェクトは、当たり前にように私達の光景を変えていった。
スーパーで買う野菜果物は、形・色・大きさがキチンと整えられ、イイ子ちゃんのようにお行儀よくプラスチックの容器に収まっている。四季の変化もお構いなしにいつでも食卓に並べられるレタス、トマト、キュウリ・・・とりあえず形だけはレタスのトマトのキュウリの、それら人口創作食物は太陽や土の匂いとは無縁の、味気ないシロモノだ。そんなこたぁ、解っていますよ、とは、全国何千万の台所責任者であるお母さんたち。「昔のトマトはトマトの味がしたんだけどねぇ」と愚痴ることが習慣であっても、その変化を受け入れてきた当事者である認識はなく、どうやら皆、自分の時代に責任を持つことが苦手らしい。 ちゃんと責任を持って作ってますよ、という農家の顔が見える野菜がマーケットに現れだしたのはいつごろなんだろう。無農薬、オーガニックをキーワードに、ちょっと高いお金を出しても「ちゃんとした農作物」を食します、というステートメントは、いわばブランド物を購入するのと同じメンタリティだと思う。ただ、それが目に見える所有物ではなく、ライフスタイルである、ってだけだ。レストランを併設した専門店、スーパー・デパートの特設コーナー、農家からの直発送おとどけ便・・・苦労せずとも手に入る状況、つまり消費者は選択を歴然とつきつけられているのだが、「あえてメクラでいる」という選択だって当然アリだし、それがマジョリティでしょう。規定以上の農薬バシバシ使用した安―い中国産の野菜なんか喰えるかー!野菜はオーガニックよー!と拳を握る熱血単純ママは、できあいのお惣菜や食材にたっぷり含まれるケミカルには無頓着で、界面活性剤たっぷりの洗剤で地球を汚し続ける図というのは、醜悪だがとても平凡な平和の象徴でもある。 ところで話はあんまり変わらないが、私個人は異常なまでの野菜好きで、非情なほどの量を喰いまくってきた。もともとがデブで、ダイエットがイコール人生の食生活だったんだから仕方ない。カロリーは低いが、とにかく嵩があって腹の膨れるもの、そういうクライテリアでフルイにかけた結果の主食といえば、野菜きのこ海藻くらいなもので。4人でシェアが適切な大きさのサラダボウル一杯に、野菜をてんこ盛りにして、ポリポリポリポリポリ1時間くらいかけて食べてる姿は、我がダンナをして「キミはウサギか?そのポリポリ音に私はウンザリである!よってこのドアを閉めることに決めました!」とピシャンとドアを閉めつつ嘆かせたくらいだ。ともあれ、嵩的には、3人分の量を胃腸に収めてきた結果として「1日3回のウンコ」がフツーであり、オンナノコの悩みのひとつである便秘とは無縁の人生でもあった、ふーん。 タイ料理やヴィエトナム料理、インドネシアやインドや韓国、台湾・・・アジア各国の料理はエスニックという括りの元、とてもポピュラーなクイジーヌinジャパンとなって久しい。タイやヴィエトナムなんて、実際に行くより先に料理の味と名前を覚えたくらいだ。こういったオリエンタルでエスニックな料理を食すると「ああ、野菜がたっぷり使われているなぁ、それが西洋食との差かもね」なんて思ったりする。日本食だって、現代の西洋系チャンポン食に取って代る前までは、野菜たっぷりで、それがメインですらあったんだよね。そして、現在私はフィリピンに住んでおるのだが、「はて、フィリピン料理って、どんなん?」と99%の日本人はギモンを抱くことでしょう。だって、聞かないでしょ?フィリピン料理とかフィリピンレストランなんて。何万人ものフィリピン人出稼ぎ労働者を利用し搾取しているにも拘らず、リーガル・イリーガルを問わず「隣のピリピーノ」が当たり前の光景となっているのにも拘らず、何故かフィリピン料理って表立ってこない。 *さっぱりと酸っぱいクリアスープのシニガン(魚・エビ・豚) *じっくりと炭火で焼き上げ、皮はパリパリ&肉はふんわり柔らかでジューシーなレチョン(豚・ニワトリ) *甘めのトマト風味シチューのアフリターダ、もしくはメヌード(豚・ニワトリ・魚) *お酢と醤油で煮込んだアドボ(豚・ニワトリ・魚) *ピーナッツ風味シチューのカーデレータ(豚) *甘く紅いタレでマリネされた肉のBBQトシーノ(豚) *まるごと油でパリッと揚げた魚、名前忘れた 基本的には米を主食に、いくばくかのたんぱく質、それだけ。実に質素であり、量もフィリピン人の体形のようにちっぽけだ。そして、野菜の摂取量が非常に少ない。ほぼ皆無というのも珍しくない。 *野菜炒めのピナカベット(エビペースト風味)もしくはチャプスイ(海鮮風味の中華料理だ) *明日葉やつるむらさきのアドボ、アドボン・カンコン *グリルしたナスと香味野菜のサラダ、エンサラダン・タロング *海藻とトマトや玉葱のビネガー和え(海ぶどうが豊富!食べ放題!) くらいが、野菜!っぽいメニューだが、チャプスイ以外は外国人用レストラン(どこでも一律のメニュー・・・クソです、マジ)ではまず提供されない。 しかし、これらはあくまで外食ライフでのチョイス。ではでは、せっかく自炊なことだしマーケットではどんな野菜を売っているのか?というと、結構これガクゼンです。チョイスがない。つまり、もう根本的に徹底的にフィリピン人野菜には無頓着!喰わんのだろーな、きっと。写真はかかりつけの野菜屋さん。これでも品揃えが豊富な部類。この日はミニ大根があって「ワオ!スゲーやん」という感じ。泥だらけで虫食いは当然、人参やじゃが芋なんかは、ほぼ全てに腐った部位があり、そこを上手く削りとってゴマカシゴマカシ売ってる。日本だったらさしずめ「見切り品」にもならないコンディションだ。 実は最初の頃一度これでブチ切れたことがある。ここで買ったじゃが芋の半分以上が腐っていたので、翌日それを持参して文句を言いに行った。「こんなもん売るなー!」ってね、傲慢な外国人丸出しで。そしたら、(辛抱強いフィリピン人は大抵、外国人がブチ切れると悲しそうに黙っちゃうんだけど)、怒りも言訳もゴメンナサイもなく、私の持参したじゃが芋の黒く腐った部分を包丁で切り取って、「ホラ、こうすれば、この部分は大丈夫だから、食べれるから、ね?ノープロブレム!」と、私の持参したじゃが芋全部を念入りにカッティングしてくれた。そうか、そうなんだ。物が乏しい生活が当たり前のここでは、全てのものには貴重な価値があって、(それは野菜だけに限らず全ての生活物資に言える事だけど)、ちょっとくらい野菜の端っこが黒ずんでたからって、捨てたりなんかしない、というか、できないよね、ってことです。 これだけワイルドな状態の野菜なワケだから、味の方も当然ワイルドで「濃ゆい」。クリーンで豊かなニッポンで、高い金だしてオーガニック農作物を買い、「おお、人参の味がする」と悦に入るようなソフィストケイテッドな味わい深さよりも、こう、なんつーの?「ゲー、人参って嫌-い!」と好き嫌いがはっきりするような、個々の本来の味が大主張してます、って感じ。たとえばオクラ、以前日本では大好きだったんだが、ここに来て「ゲー、オクラって青臭いし、繊維質固いし、げろマズッ!」になりました。ま、それが本来の「お味」なんでしょうけど・・・なんか愉快だな、こういうのって、本末転倒というか、わはは。結果的に、なんとなく野菜の摂取量が日に日に減り、ウンコも1日1回になりつつあります。あー、なんか、日本の「プラスチック製ですか?」というような味気ない野菜をバリバリ思いっきり食べたいわね!という愚かな欲望が私の胸を去来する今日このごろ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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