カテゴリ:TRAVEL
ダージリンからアッサム経由でデリーへ、そしてゴアで荷物をまとめてムンバイに戻り、デリー、バンコクと、飛行機を乗り継ぎ、乗り継ぎ、やっと成田着。
なんども離陸、着陸を繰り返して、でもいつまでたっても「ああ、まだインドだ」って感じで、インドはホテルカリフォルニアみたいに、チェックアウトはできても、なかなか去ることができない、と誰かが書いていたのを思い出した。 実はインドには、たったの三ヶ月しかいなくて、でも一年くらいいた感じだ。 たくさんの色々なアレコレを学んだ。これまでの自分のリミテーションをぶち壊すことができた。とんでもない極限の両極が同時に存在する現実を目の当たりにし、自分のなかにも同様に相反する両極があることを身をもって知った。 人々の中に宿る光り、それは人種も身分も貧富の差も関係ない。アチラとコチラを分け隔てるのは外部的な国境や宗教や階級じゃなくて、自分自身そのものだ。自分次第で、表面的な線引きを越えて、私達の内なる光りや、もっと沢山のものをシェアすることができる。 最も近く、最も遠い、最大の他人だったダンナさん。この三ヶ月でその距離が微妙に変化してきた。アナタは外人だから、アナタは男だから、と線引きしていたのは私だった。歩み寄ることより、拒絶することで私はなにを守ろうとしてきたのだろう? これまで海外から日本に戻るたびに、気分が萎えてきたものだ。灰色の町、無表情な人々、過度な秩序、表面的な世界・・・でも、それをそのように映しだしてるのは自分だ。「ここ」をいつまでも「逃げ出したい」牢獄にしたいのなら、いつまでたっても、どこまでいっても、不幸で不満だらけのままだ。成田に降り立つやいなや、それがスーっと解った。 日本到着の翌日、IYC九段下でフルプライマリーのレッドクラスに参加。二ヶ月ぶりの練習。重力に負けてる自分のカラダ発見。 その翌日から同じく九段下で朝練マイソール開始。2日目にして身体中がスゴイことになった。全身 これ筋肉痛。床のものを拾うのもエッチラオッチラ状態・・・><アシュタンガヨガというのは、とても肉体的にハードなんだな、と、なにを今更みたいな事を思った。 その翌日からは、ケンさんの神保町スタジオへ。グルジのオールドシャラみたいな、超少人数制のマイソールクラスだ。筋力とバンダを失った、この鈍りきったヨレヨレの身体が、どう変わってゆくのか。これまでの「当たり前」が大きなチャレンジになってる。日に日に変化してゆく過程が、はっきると、くっきりと、感じ取れる。面白い。ワクワクする。 東京の町を歩きながら、「あ、そういえば、2~3日前はインドにいたんだっけ」と、たまにハッとする瞬間がある。あの臭いも騒音も暑さも、なんか遠い昔のことみたいだ。 3日目から以前勤めてた会社に復帰。なんの違和感もなく、あたりまえのように物事が進む。昔からの知り合いのインド人にバッタリ、甘~いインド菓子を貰い、口イッパイに懐しい味をほおばった。あちこちのヨガ友達とも再会しては、前とおんなじようにワーワー過ごす。あれ、私本当にインドに行ってたんだkっけ?ますます時間の感覚がおかしくなってくるような、でも、何かが決定的に違う、微妙な感覚。 自分を犠牲にした「仕事ホリックな」生活からの脱却。これがここ最近の自分の最大の変化だったのに、なぜだかまた「仕事にバリバリ」方向に進む予感がする。なんか一回りして、元に戻った、みたいな。「自分を犠牲にしないで仕事を楽しむ」という選択肢に、なぜ昔は気づかなかったんだろう。 うん、そう。一回りして、元に戻った。全てがそんな感じ。ダンナさんにしてもそうだ。休んじゃってたヨガもそうだ。意を結して辞めた仕事もそうだ。結局これまでのアレコレは、結局ここに戻るためのものだったのかな?もいっかい、リハビリを兼ねて、やりなおし、やりなおし。そういうことなのかな? なんて首を傾げてると、1歳半の姪っ子が片言のニホンゴを駆使しながら、突進してくる。天使の翼で包んでくれる。この生き物は純真そのものだ。抱きしめるとミルクの臭いが鼻をくすぐる。インドで抱きしめてきた沢山の子供たちと、この姪っ子になんら差はない。瞳はまっすぐに私の本当の中心を見つめる。 ま、いっか。 とりあえず、みなさま、ただいまです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.07.28 12:23:12
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