カテゴリ:TRAVEL
Haridwar ヒンズーの混沌と包容 2007/4/19~22
牛のウンコだらけの路上でハエにまみれてスナックをバクバク食べてたからでしょうか、店先で出されるがままにお水を頂戴してたからでしょうか、それとも単にドコゾヤのターリーにアタったんでしょうか、気がついたら、「うーん、お腹痛いよー、下痢が止まらないよー」なのだ。せっかく風邪が治りかけてきたのに・・・。 3日目の朝、油断してオナラをしたら実まで出ちゃって、思いっきりブルー・・・外出先でなくて良かった。オエーっとエヅきながら「こ・こ・この、パ・パ・パンツ洗わなきゃなぁ・・・ガクブル」、と洗面所でうろたえてると、パンツの軟便の中には小さな白い虫が一匹蠢いている・・・ギャーッ!!!!ホラーショーだよー!エーン、ママーっ!ヤダ、もう帰るー! あわてて「センセー!私、虫が湧いちゃったんです、汚染されてます!隔離してください!」と、近所のドクター兼薬局へ駆け込む。が、フッと一笑され、薬をポンと渡されるだけ。英語がちゃんと通じてないのだろうか?虫だよ、虫!ウンコの中に虫がいたんだよ!いいの?そんなんで?まさか「いやー、ウンコの中の虫は、カラダにいいのよー」なんて言わないだろうな?でも、ここのドクター兼薬局のオヤジは、あんまり相手にしてくれない。せっかく身振り手振りで「今朝ウンコの中に生きた虫を発見」を説明したのに・・・。 でもさ、通りを見ると、死にかけの人達や、腐りかけの人達が、物乞いする気力もなくゴロンゴロンしててさ、そこまでいかなくても信じられないカタワや、らい病患者なんかが、フツーにそこらにゾロゾロいて、それどころか、大半の巡礼者達はホテルに泊まるお金なんてないから、糞尿とゴミと下水と同じレベルの路上で衣食住を営んでいるワケで。そんな中で、安宿とはいえ、ベッドにシーツがちゃんと敷いてある宿で、(インド人からすれば)優雅に過ごしている外国人観光客のオジョーサンが、「ウンコに虫」くらいで、なに騒いでんの?ってトコロなんだろうな、と感じた。 とりあえずは薬のんで様子みて、必要だったらデリーに戻った時に医者行こう、と思い、あんまり気にするのはヤメタ。だって、死んじゃうときは死んじゃうんだし、それが病気であっても、いまここのムチャクチャにグチャグチャな交通状態の路上での事故死であっても、なんら不思議は全然なくって、全ては「運」なんだ、って気がしてきた。 インドでは人の命の重みがない・・・、よく聞くフレーズだし、実際にそう思う。(特にニュースなどを見たり読んだりすると尚更) でも反対に、私たちは命の重みを、過大評価しすぎてるんじゃないかな?今の私たちが「現生」を生きる上で着こんでいる、この「肉体」という乗り物、それが、たとえいまここで消滅したところで、持ち主である私たちの魂はキチンと残っているワケなんだから、なにもそんなにムキになって「現生」の肉体に固執する必要はない、んじゃなかろーか?この辺の投げやり加減は、現実主義の方々から叱咤されそうですが。 例えばゴアからハンピへ向かう夜行バスの、気狂い運転にビビってる矢先に遭遇した、タンクローリーの横転事故。しかも、行きも帰りも・・・。行きはホンの十数車だけ先方で横転していて、道端には遺体(・・・いや、今思うと生きてたのかな?・・・も、もしくは、そこに生活している方々であったのか?)が無造作に横たわっていた。何が原因かは分からないけど、これが私の乗っているバスであっても全然おかしくなかったのだなー、と、暗闇の中「ナンダ、ナンダ?」と野次馬根性丸出しで見に行った帰り道で、シミジミした。帰りに見た事故は、本当に炎上してて、私の乗ってたバスは迂回して素通りしたけど、沢山の人が水桶や壷に水を汲みにいっては、手作業で消火していた。おいおい、燃料積んでるトラックなんだから、気をつけてよー、と思いつつも、「なんで、あそこで横転しているのはこのバスじゃなくて、あのトラックなんだろう?」と首をかしげた。 これまでの人生で、死がすぐそこにある、ってことをヒシヒシ感じる機会なんて、そんなになかった。だから、こんなにも無造作に「ホイヨ!」と、死を身近なものとして差し出されると、現在ある自分の生が、とてつもない奇跡の様に見えてくる。と同時に、この奇跡がこの先も続く保障など、まったくないのだ、と思い知らされる。 さすがインド、すごいぞ!「ウンコに虫」くらいで私をこんなにも哲学的にするなんて・・・。でも、まずは、その運転マナーと衛生観念を改善すれば、死亡率がガクーンと減ると思うよ。だって、無駄死にはやっぱりヤじゃん、インド人? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[TRAVEL] カテゴリの最新記事
|
|