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カテゴリ:マインド
今日も効果的な質問は休み♪
最近、苛立つことが多い。セッションの前に十分に自分と向き合う時間を作らないと、 クライアントとだけに集中するプレゼンスが保てなくなる。 先週、近場で偶然に「禅道場」を見つけた。偶然というよりイライラしている私のレセプター が自分と向き合う場や時間、構造を求めていたから、目に留まったに違いない。 目に留まった瞬間、これだ!と直感した。 自分のプレゼンスを整える方法は他にもあるのに、「禅」。 門を入って玄関まで行ったところで、「自分は正座ができない」ことに気づいた。 それで、引き返し、家に戻ってネットで禅道場を検索。 戻る途すがら、だいぶ涼しくなったし、座禅とか心を静かにする構造がどうしても欲しいと 思った。そして、「禅道場」に行って「禅の心」に浸りたいと思っていたのだが、気づくと Amazonで「ベラボーな生活-禅道場の「非常識」な日々-」という本を購入していた。 その本が今日届いた。 セッションを終えて、今ページをパラパラして1.2話だけ読んだけどスゴイ! この本は禅道場の日々を通してのエピソードが不思議なタイトルをつけて収めてある。 今、私がななめ(机に向かって読むタイプの本じゃないです)に読んだのは「トイレが舐められ るか?」と「挨拶の力」。 「挨拶の力」は相手を3年間無視し続けることこそ本当の挨拶!?という帯に惹かれて読んだ。 読んだ途端、一昨昨日の日記に書いた「アクノレッジメント」についての解釈に自分の小ささ を感じた。3年間、無視し続ける相手に変わらず「おはようございます」といい続けたという 話。3年目にして相手が泣きながら、「おはようございます」と言ってきて、その人が劇的に 変化したということ。三年も無視し続けたから、それだけ深い感化となるのだから、簡単に 相手を変えようとして説教などしないほうがいいということだ。 相手に気づきが起きるまで、こちらは同じプレゼンスを保つ! 無視する相手に三年間、「おはようございます」と挨拶し続けられるファンデーション。 私もそうで在りたいと思いながら、5年でも続けたのか、3年の間にお休みした日はなかった のか、もしお休みした日があったら、相手はどんなことを感じたり、考えたのかなどと余計な 憶測をしてしまう。 プレゼンスは相手とか環境とかに関係なく、そうあること。俄かや瞬間ではなく永遠なんだ。 それを知るにつれ、自分がイライラするのはフラフラしてる弱さだと実感した。 でも、よく考えたら、花には毎日話しかけている。当然、答えは返ってこない。でも、そこに 花が咲いているだけで、十分私は幸せだと思える。 そこに相手がいるということへのアクノレッジメントなんだ☆ 合掌 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年09月26日 00時51分27秒
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