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カテゴリ:日本の歴史の世界
明智十兵衛光秀
三日天下と言われて、光秀と聞くと 裏切り者というイメージが先行されると思う。 教科書でもその部分しか書かれてなく、実際 どういった人物か定かではない。 でもよく考えてみると、あの信長を欺き 死まで追いやった光秀は、相当な戦略家では なかったのだろうか? 実際、この『センゴク』では戦国期最高の 軍事専門家として描かれている。 なのに何故その三日天下だけが取り上げられ それ以外のイメージが残ってないか。 もし、自分が信長側の人間で、文献を残すとするなら 裏切った光秀のことを良く書きますか? もし沢山の功績を残していたとしても、裏切り者の 名前を書くことさえもしなかったのではないだろうか? 実際、信長の家臣の中では重要な位置づけでいたのは確かで それは充分な功績を残さない限り、無理な世界だと思う。 あくまでも仮説だが、その光秀の功績も細かく このセンゴクには描かれている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.11.08 12:07:07
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