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テーマ:歴史の人物(20)
カテゴリ:日本の歴史の世界
浅井備前守長政
人が無になるときは凄く難しく 全てを捨てることはなかなか出来ないことである。 勘違いしてることも多いと思うが、無と言うのは 死ではなくて、死は止まるだけで無ではない。 辛く悲しいときがあって死を選ぶ人もいるかもしれない。 でもそれは止まるだけであって何も解決にもならないし 止まったままでは進むこともできない。 無になることはどうゆうことか。 これは人それぞれでもあるので、どうすればいいかという 助言をすることは出来ないが、ただ一つ言えるとすれば 自分の中で何もかもなくなったと思うまで、やっていくことが 大事かもしれない。 別に住まいがなくなるとか、物がなくなるということが 無ではない。自分の中で何もないと思うこと。 それの境地が無ではないだろうか。 無になった時は、本当に何もなく寂しくなったり辛くなったり するかもしれないが、死と違って先に進むことが出来る。 無になる怖さはあると思う。 しかし、その先は無限の世界が広がってるかもしれない。 何も無いなら、しがらみも、世間体も 関係なく始められますよね? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.11.17 13:29:38
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