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テーマ:地震情報(629)
カテゴリ:3.11被災地レポートその1
2011年5月13日。六角堂。曇り。
大津港で海に向かって黙祷をしたあと 北へ向かった。 北茨城にはいくつかの名所があり、北へ 車を走らせていると六角堂の看板が見えた。 ちょっと立ち寄ろうと思い、入り口へ向かうと 張り紙が。 「今回の震災と津波で六角堂は流されました」 六角堂がどういったところか知らなかったけど 調べてみると、環境庁より「残したい日本の音風景100選」として 認定された場所だったらしい。 今回の震災でどれだけの文化財や遺跡が流されたのかと 考えるとまた胸が痛くなった。 すぐ裏手にある「黄門の井戸」は何も被害は なく健在だったのがまた皮肉的だった。 観光地のひとつらしく周りには温泉やホテルもあったが 殆どが震災のために営業停止の張り紙が出されていた。 そして海沿いを走り、福島へ。 工場地帯に入ると瓦礫を収集してる場所があったり 段々とまた震災の爪痕が見えてきた。 工場地帯の通りはたまにトラックが走ってるくらいで それ以外は人さえも歩いていない。 途中から路肩が殆ど跡形もなく歩けない状態になっていて 道路も液状化のせいなのか、砂が敷き詰めた道路や まだ水道管が修復されてないのか、水たまりが多く 危険や、注意の標識もなく、自己判断で 走るしかなかった。 道路や歩道はどこの管轄か分からないが あれから二ヶ月間、ずっとこのままの状態だったのかと 考えると憤りのない怒りがこみ上げてきた。 たまに凸凹な道路に直面するときがあるが それがすぐに修復されることはない。 しかし今回は何処から見ても道路としての 昨日は果たしているのか?と思うくらい ボロボロの状態だ。 歩道はハッキリ言って歩ける状態じゃない。 壁も崩れていてかなり危険。 これを見て国民の安全を考える国は どうしているか凄く謎になってきた。 それともまだ見てないのか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.05.16 00:11:24
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