被災地を訪れて~原発から50kmの真実。その後…
被災地を訪れてひと月経とうとしている。そのとき訪れたふじみつ商店には少ないが物資を送ったり、電話して話を聞いたりしていた。震災から三ヶ月経とうとしてるがあれから、真実がメディアから流れることが少なくなった。訪れてからひと月経とうとしてることもあり今の現実を知りたいために今日、また電話してみた。直に行くことが出来ないのが心苦しく迷惑とも思ったが、店主は快く話を聞かせてくれた。これから書くことは被災地、現地の人の声です。まだ距離的にも原発から離れてる方だから段々と、最低限の生活だが出来るようになってきた。しかし北に10キロ進むとまだ全壊の家や瓦礫がそのままだからボランティアもそっちの方に力を入れてくれたらと言っていた。そう…まだ何も変わっていない。時が止まったままなのだ。そして、つい1週間前に市から連絡があり補助金?が振り込まれると連絡があったらしい。まだ振り込まれていない。私が訪れたお店は二階が残っていたために半壊ということで50万は以前、手続きをし貰えたらしいがその後、市から連絡があったのは被害を受けた家に20万、補助金ということらしい。店主の口からは国からと言う声は一切聞かなかった。その市からの補助金が国からということなのでは?というくらいの感覚らしい。まだ振り込まれてはいないが合計70万で何が出来るのか?生活もあるし、お店の修理もまだ残っている。原発に近い地域に住んでた人達は、原発からもお金が出てるからまだ、マシな方かもしれないと言っていた。そして義援金。赤十字などの寄付したお金の話はテレビやラジオでは聞くけど、その地域では一切、話がきたことがないらしい。今回の震災は大規模な範囲だったからしょうがないし我々の手元に届くとしても微々たるものだろうと…月日も経って漁師の人達も仕事に戻りたい人達も多いらしいが、原発の放射能のおかげで誰も買い手がいないということ。再開まではまだまだ時間が掛かりそうだし、いつになるかも見当がつかないと言っていた。今出来ることは、全壊した家や半壊した家の持ち主から障子をや襖を貰ったりと、継ぎ接ぎだらけだけどそれで家としての形を保つことらしい。70万で今後の見通しもないまま、過ごせというのは余りにも酷すぎて、国からという言葉は一切聞かないこの現状は、国として機能してないのが良くわかる。このまま大まかな感じで国が対応し続けるとなると忘れ去られた地域が必ず生まれてくるように思う。以前にも書かせてもらったが、義援金、補助金も満足に届かない状態なのに、もうメディアでも騒がなくなってきた。私達はこのままでいいのだろうか?募金した人達はそれで満足なのだろうか?電話の最後に、店主の言葉にまた心を打たれ申し訳ない気持ちになってしまった。また時間を作って訪れようと思っている。「いつでもまた遊びにいらしてくださいね」行っても何も出来ない自分…わかってる。しかし、この店主の言葉で救われた。強すぎるこの言葉は何処まで届くだろうか…?