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テーマ:ニュース(100168)
カテゴリ:長崎に生まれて。。
母親の兄の子供の病名は白血病だった。
幼い頃は体が弱いからと聞かされていて 会うのは数年に一回。 合計でも二回くらいしか会ってないと思う。 白血病と分かったときは、もうその子は 病院から出ることは出来なくなっていた。 それが分かったときくらいに初めて聞かされたこと。 私の母方の親は漁師をやっていて原爆が落ちた日は ちょうど水揚げが終わり港を出て住んでいる五島という 島に帰るところだったらしい。 船の上からキノコ雲を見たことを鮮明に覚えてると言っていた。 黒い雨という映画を観た人だったら 思い浮かべられるかもしれない。 その母方の親はそれから母方の兄姉を生んだ。 兄。姉。私の母。妹。 そのうちの兄の娘は白血病に。 姉の一番下の息子は障害者になった。 しかし、その兄妹を生んだ親は被爆者には認定されなかった。 【送料無料】原爆の声 【送料無料】原爆と人間 【送料無料】長崎原爆異見録 【送料無料】原爆遺構・長崎の記憶新版 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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