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テーマ:今日のニュース(1448)
カテゴリ:長崎に生まれて。。
先日、大阪で起きた体罰問題。
体罰をやった教員は強くなるためだと言っていたが 本当に体罰で強くなるのだろうか? チーム自身、強くなったとしてもそれは体罰という 恐怖から逃れるためであって自分たちチームのためではない。 それを分からずに生徒に押しつけるのは 教育とは言えないし、もちろん先生と呼べる 人がやる行為ではない。 私自身、サッカー部に所属していた時代。 そのチームは出来て数年で強豪チームに仕上がった。 たぶん、私が所属していた時がピークで 長崎で市内では負け知らず、県では常時2位という 成績を残していた。 なのに私がサッカーが嫌いだった。 レギュラーでいることが凄く辛かった。 理由の一つはその監督の体罰であり、その恐怖で のし上がってきたことは明らかだったからだ。 私の一つ前の代は県ではベスト8ベスト4が精一杯で その次の年は必ずというプレッシャーは当初からあった。 実際に新チームになってからのデビュー戦。 長崎市では上位にいつも上がるチームとの対戦になったとき 私達は7対0で完勝した。 しかし、前半には3点しか取れず、主要選手や 失敗した選手は体罰を受けた。 そのときに10点取らないと20キロ近くある母校まで 走って帰れと言う指示がでた。 それから後半、誰もがその恐怖から逃れるために 動き4点を取ったものの、ハーフタイム中の指示が出た 10点には届くことが出来なかった。 もちろん、試合終了後、また体罰を受け 私達は走って帰ることになった。 これがデビュー戦となり私達はそれから恐怖の中で 戦うことになったのは言うまでもない。 それ以降、市の大会では全て優勝を収めたが チームメイトは誰一人喜ぶことはなかった。 県で2位になって全国大会を逃したが、その後 最後の大会でリベンジを果たし優勝もしたが 一切、誰も喜ぶことはなかった。 優勝したときはみんなホッとしたという表現が 一番、合ってるだろう。 何故か? 優勝したら体罰を受ける確率が低くなるからだ。 結果としてはチームとして強くなったと思う。 しかし、私はそのチームを誇りに思っていない。 実際にそのとき、サッカーは大嫌いだったからだ。 楽しくサッカーをやっている相手チームがいつも 羨ましかったことを覚えている。 全試合を通して言えるが点を取って喜んだことは その一年間、一度もなかった。 特に全国大会を逃したときの試合後、相手チームの 悦び様は私達には一切、経験したことがない。 数年経ってからいつも思うことがある。 その悦びを知っていれば私達は全国に行けたのでは?と。 実際に私達に勝って全国大会に行ったチームは 日本一になった。 あのチームには体罰はあったのだろうか? たぶん、私達が受けたような体罰はなかったと思う。 そうじゃなきゃあんなに喜ばないだろう。 強くなるために。 その言葉は重く、一人の人間が抱えるものではない。 もちろん人に押しつけるものでもなく、一人の教員の ためでは絶対にない。 体罰は短期間でチームを強くするには一番 良い方法かもしれない。 しかしその期間にレギュラーになった人間にとっては 苦にしかならないのではないだろうか? 今回、大阪の事件では教育委員会は部活動の 無期限停止という処分をとったがそれは正しいのか? 一人の先生のおかげで苦でしかない部活だったわけであり そのスポーツまで取り上げる権利はあるのだろうか? 大阪のニュースではそこまで言及しているが 全国のキー局ではその言葉は聞こえない。 是非ともこのニュースを観て欲しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.01.15 19:27:55
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