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テーマ:鬱病(2269)
カテゴリ:イギリスから日本へ
昨夜まで3日続けて、発作があった。
実家に帰ってくると、より発作が大きくなることがあり、親に見えない所で、モトカレに電話をして、治まるのを待つばかり。 電話をかけられる相手はもっといるかもしれない。 でも、実際、そんな電話をかけて、私が叫ぶほどの発作だった場合、相手を怖がらせてしまうだろうと思ってしまう。 以前、リビングで発作を起こした。簡単に言えばストレスがたまっていた。 自分の不甲斐なさを責めながら、家族分の夕飯を作っていたのだった。 でも、それにも疲れて、何もいえないまま疲れて、とうとう何かテレビのニュースのきっかけか、殺人ニュースでもあったのか、体が硬直してしまい動けなくなった。もしそのまま動いて、薬を取りに行ったらココロが耐え切れず、恐ろしくて、叫んでしまうと思ったから、呼吸がやっとできる状態で、食卓の下で発作が過ぎるのを待っていた。そのときは叫ばないと食いしばって、親友に電話したのだった。 パニック発作はうつ病になる前からの症状で、それが病気だと私が自覚したのは、うつ病になってからだった。そこから頓服をもらえるようになりだいぶ楽になった。それでも、発作を起こしてしまう自分の体や、ストレスのため方を調教し切れていない。 今日も、ここずっと鬱々とした気分が続いていた。先週あたりからか。 夜も発作があると、ついつい眠れず、朝の5時まで起きていたりするから、起きても疲れてまた昼間も寝てしまうという悪循環が続いている。 帰国してから、ずっと、親にせかされるように片付け、荷物の引上げ作業、さらに家の掃除、書斎の模様替え、と母に言われることには極力協力してきた。もちろん、私のためにやってもらってることもわかっていたが、それでも、少し無理をしすぎたようだ。 思えば8月から続いているこの引越し片付け作業。 もう、帰国のどたばたもさることながら、引き上げてくるだけで死にそうだった。体力も気力も使い果たしてきたのに、それを忘れて、 日本にいるのだから、実家にいるのだからと、 うつも発作もある自分の体を思いやるのを忘れていたようだ。 8月からやっていたとすれば、9月もいれたら2ヶ月。やりすぎる。 気も遣っていた。申し訳ないと常に思っていた。 発作の数と予期不安が大きくなった。抑うつ状態も生理が終わったのによくならなかった。親に当たってしまった。 母にキツイことを言ってしまったりした。 母に頼みごとをされるとイヤといえない、でも母に甘えているのに。 今日はこれに気がついて、罪悪感が少し軽減された。 私は休まなければならない。体力づくりなどして、マイペースで自分を守っていくことが大事なんだ。 落ち込んでるときはツライ。それが長くならないようになんとかしなくちゃと思って、友達にメールしているときに自分を痛めつけていた自分に気がついた。 難しい。欝で発作もちで、自分が難しいよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年10月08日 03時44分49秒
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