テーマ:幸せの法則について(434)
カテゴリ:日々の雑感
賛否両論あるなかで日本初の『赤ちゃんポスト』(こうのとりのゆりかご)が5月10日より熊本の慈恵病院で運用がスタートするとのこと。 賛否両論とは、子育てを放棄していわゆる『捨て子』を助長することに繋がるから望ましくないとする反対派と、どんな理由があろうと現実に捨て子の結果として赤ちゃんの死亡に繋がる事件が存在する以上、それを起こさないための具体的な方法が必要とする賛成派の両論があるということ。 そうした中で、現実から目を背けることなく実態に即した対応の必要性を考えると、私も必要悪かもしれないけれども、やはり必要な具体策のひとつだと思います。 公的な施設ではなく、一病院がその方針を打ち出し、厚生労働省が追認する形でスタートすることになった経緯からも日本の国家としての対応の遅れを感じます。 ドイツなどでは以前からその議論があり、既に公的なものとして運用されているようです。 この問題に限らず、何かの事例に対して賛否両論があってその議論のうえで現実に目をやり、方法があれば先ずはやってみるという姿勢で臨むことは大切なことですね。 結果として理由の如何に関わらず、捨てられてしまったり、その結果命を落としたりする赤ちゃんが現実に存在する以上、倫理観や正義感をベースにしたいわゆる『正論』の議論に終始して『行動』を伴わなければ、その間にも少なからず犠牲となる赤ちゃんが増え続けている現実は改善されません。 ましてや、単に母親の倫理観の問題以前に法律や社会的な環境が現実にそぐわない状態であることも考えられます。 勿論、世の中には、心の強い人や正義感あふれる人ばかりではなく、努力することなく安易に親としての責任を放棄したり、そもそも倫理観や道徳心の欠如した人も存在することは事実かもしれません。 しかし、それでも命を失ったり、親の顔も知らずに自立して生きていく運命を背負うことになるのは、紛れも無く、結果として捨てられてしまった赤ちゃん本人だということ。 そのことに目を向けずに倫理観云々の正論でこうした問題に具体的な措置をとらないことの方がはるかに重大な責任放棄ともいえます。 生まれたばかりの赤ちゃんの気持ちを知ることはできませんが、今は何も判断できない赤ちゃんでも、成長して大人になれば一人の立派な成人です。 自分の経験を通して人の心の痛みを理解することのできる人となり、その後多くの人の役に立つ存在となりうる人材へと成長することもまたその赤ちゃんの持った運命や可能性というものです。 今はたとえ国内に1病院しかそれを行う所がなくても、その動向如何で今後追随するところも現れるはずですし政府もそうした結果を無視することはできなくなることでしょう。 財政面などいろんな問題も含むでしょうが、やはり、人として、一人の人格を持った赤ちゃんの命を大切にすることを考え、それを前進させたという点でも『赤ちゃんポスト』の意義は大きいと思います。 以前からこのブログをご存知のブログ仲間の皆様やたまたまお寄りいただいた方が、こうして文末までお読みいただけたことに感謝いたします。 今年に入ってからずっと更新できずに数ヶ月があっという間に過ぎていきましたが、久しぶりの更新にもかかわらずここまでお読みいただけたことをとてもありがたいことだと思います。 今後も以前ほど頻繁な更新は難しいですが、思うことを自然な気持で書き記していくつもりです。 感じたことを短文でもコメントいただけましたら励みになります。 正月以来のご無沙汰でしたから体調を崩したのではないかとご心配をしてくださった方もいらっしゃるかもしれませんね。 その点ではむしろ、元気バリバリで頑張っていましたのでインフルエンザの流行の時期も風邪ひとつひくことなく、教室の方も沢山の新しい生徒さんを迎えることができました。 長男は中1、下のチビは小1となりこれからの成長が楽しみです。 今後ともどうぞ宜しくお願いします。 ブログ仲間のワンクリックに感謝! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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