カテゴリ:日々の雑感
先日お伝えした『赤ちゃんポスト』についての東京新聞のウェブ版によると、以下のような記事がありました。 熊本市の慈恵病院が設置した「赤ちゃんポスト」(こうのとりのゆりかご)に3歳ぐらいの男児が預けられていた問題で、熊本県警は15日、男児を同病院に連れてきたとみられる父親の刑事責任を問わない方針を固めたもようだ。 預けられた時の状況などについて調べた結果、保護責任者遺棄罪に当たるような危険な状況ではなかったと判断したとみられる。 関係者によると、男児はポストの運用が始まったばかりの10日午後3時ごろ、父親に同病院に連れてこられポストに預けられた。 病院の通報で県警は捜査を開始。男児は自分の名前を話したり、手を引かれてきたことは話したものの、身元や住所の特定につながる詳しい話はできなかったとされる。 県警は慈恵病院関係者からの事情聴取で、健康状態に問題がなかったことや、男児を保護するための病院の態勢が機能していたことを確認。今回の父親の行為に事件性はないとみている。 この記事を見て私の感じたことは、 『3歳くらいの男児』とある部分です。 文字通り赤ちゃんだったら、両親に対する記憶というものがないから赤ちゃんポストの本来の機能を果たすと思うのですが、『3歳』となるともう立派な人格をもち、両親との生活の中で愛情や喜び悲しみ寂しさ暖かさなどすべての感情をもっていて、しかも、『それでもわずか3歳の幼子』です。 お母さんも恋しいはずだし、ましてや手を引いて連れてきた父親と別れるときにどんな気持ちで別れたのかを想像するとかわいそうでなりません。 前回の日記で私は『赤ちゃんポスト』の存在は必要悪だが必要だといいました。 しかし、今回のケースはどうでしょうか。 もちろん、この子の手を引いて連れてきた父親の心情も察するに余りないほどつらかったに違いありません。しかし、ほんの今まで手を引いてくれた父親と別れるときのこの幼子の心を思うと本当に心が痛みます。 戦時中にわが子の命だけでも救いたい思いで、泣く泣く子供を他人に委ねた人々の状況と今回の『赤ちゃんポスト』での出来事の状況は同じと言えない気がします。 母親だけ悩み苦しんだ末の行動であれば、まだ理解ができるのですが、『父親』が手を引いて連れてきたとあります。 どうなんでしょうか。 確かに、保護責任者遺棄罪などという罪をこの父親に果たす必要があるかどうかについてはさておき、3歳という一番かわいい年頃のこどもをこんな形で手放すことしかできなかったのか。 父親として他に選択肢はなかったのか。 私は父親を攻める気持ち以前に、この子がかわいそうでなりません。 先日の日記を書いたときに、こんな展開もあることは想像もしていませんでした。 『赤ちゃんポスト』は今でも必要であると思っています。 でも、3歳児はあまりにもかわいそうです。 皆さん、そう思われませんか? ブログ仲間のワンクリックに感謝! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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