テーマ:徒然日記(23495)
カテゴリ:日々の雑感
昨日の大きな出来事が終わり、今日を迎えました。 今の段階では、目に見える実質的なものは何も昨日と変わっていないにもかかわらず、 どうしてでしょう。 気分がとても明るいのです。 大きな痛手を負うこともはっきりしているのに、どうしてこんなにも心が穏やかでいれるのか 不思議なくらいです。 ちょうど荒波の外海から湾内に入った瞬間に突然今までの嵐のような風雨が静かになり、穏やかな日差しがぽかぽかと感じるのと似ています。 大きな痛手という危機感が妄想のように襲いかかって日に日に大きな怪物のようになっていたわけです。 もちろん、今日の段階では事態はまだ変化していません。(ただし、方向は昨日決まりました) 昨日の大嵐で、船体には大きな痛手を負いましたが、何とか沈まずに暴風雨を乗り越え、 そして、今日は、そんなことがあったのが遠い昔のことのように静かな海がキラキラと波を反射して輝いていることに目をやる余裕があるのです。 この変化は何だろう。 「痛みを受け入れる覚悟」をしたこと。 「後ろを向いて後ずさりすること」を断ったこと。 「前を向くしかないし、止まらずに一歩踏み出しながら沈むんだったらそのほうを選ぼう」と覚悟したこと。 そうしたいろんな覚悟をしたこと自体が眼前に立ちはだかっていた「と思いこんでいたかもしれない」怪物を消し去ってくれたのかもしれません。 事態は現実です。 しかし、「怪物」は、それを乗り越える直前まで襲いかかってくる「自分自身の精神との戦いそのもの」なのではないかと・・・ 昔、「禁断の惑星」という宇宙SF映画の草分け的な映画の中で、「イドの怪物」という人間の精神(憎しみや、恨みやその他の強い潜在的な思いが生み出すある種のエネルギーによって作り出された目に見えない怪物(実際には映画の上では目に見えるシーンがありますが)に対して、それを作り出した人間が闘うというような場面がありました。 その映画をご存じの方は、思い出されたことでしょう。 うまく表現しにくいのですが、その「イドの怪物」のようなものが つまりは、自分自身の潜在意識の中で生まれ、目の前に大きな大きな壁として襲いかかってきていたのかもしれません。 もちろん、戦いの後では、ちゃんと船は大きく破損し、体にも重傷を負うわけですから、戦いそのものは現実に起こったことです。 しかし、目の前に直面している実像としての敵は、実は、自分自身の恐怖心や逃げ出したい気持ちや耐えしのぐ忍耐力などあらゆる精神面との戦いを乗り越えて初めて戦いのステージに上がってくるものであって、 むしろ、実像に出会うまでの「怪物との戦い」こそが、『壁』なのかもしれないと・・・・ そんなことをふと考えていました。 ブログ仲間のワンクリックに感謝! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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