テーマ:英語のお勉強日記(8043)
カテゴリ:日々の雑感
高校生(高校1年生)の生徒に中間試験のテスト範囲はわかっている?と聞くと、わかっているけど「!」がわからない。 というので、「!」ということは、感嘆文のこと? 呼び名はよく覚えていないけど、How とか What とか・・・というので、 それを使った文で、「なって素敵なひとでしょう!」とか「なんてかっこいいんでしょう!」とかいうときに使う感嘆文のことでしょう? なんだか、本人も何かよくわからないようだったので、具体的な例文とか違いとかを説明してあげて、 「ところで、この感嘆文って、先生たちが中学校の時は、中学生ですでにならって、高校入試などでも問題の一部として出ていたよ」 と80年代以降中学生の習うべきものが高校生に引き下げられてきたことを説明してあげました。 「だから、<中学生でもわかること>だと思って具体例を見比べながら取り組めばすぐに理解できると思うでしょう」 そういいながら、同じような例をいくつか挙げながらやっていくと、最後には 「そうか、そんなことだったのか、簡単ジャン!!」とひとこと。 小学生が円周率を3.14ではなくて、3で計算してきたことなどは、有名な「ゆとり教育の弊害のひとつ」です(簡単にしたことのメリットよりも、簡単がゆえに深く考えようとしなくなったデメリットがありそうです)が、英語などでもこんな面で義務教育から外されている分野があるということですね。 ところで、子供たちが「知らない」=「習っていない」ということと、子供たちが「理解できない」ということは別の問題だと思っています。
教えずして「知らない」ものは、理解のしようがありませんし、 知らないものは、確かに知らないわけで、能力以前の問題ですね。 「ゆとり教育」のいい面もたくさんあることは理解できるものの、「教えない」=「習わない」=「知らない」=「知らないことはわからない」・・というような循環をしていること自体は、やはり、子供の可能性を閉ざしているように思えてなりません。
むしろ、知りたかったらどんどん調べて独学してでも知って、そしてそれを活用していこうよ! そのための方法は、こんな風にして調べてみようよ!!というように、仮に教えることがプログラム的にできなくても、自分でやるにはこんな方法があるよ・・・と示してあげることはできるように思います。
「ゆとり」ということは、一見子供たちに親切なようにも感じますが、一方では、「学ぶチャンスを与えない」ということでもあります。
今後、従来のゆとり教育をだんだんと改善していくことになるでしょうが、 「何を教えるか」ということ自体よりも、 「どうすれば理解できて、どうすれば自分で考え、応用できるようになるのか」の方向性を示してあげることの方が大切なことだと思います。 教育の場で子供たちを保護しすぎたところで、実際の世の中は、「生き抜かねばならない」世の中です。 それは、他人との比較の上での上下や勝ち負けということではなくて、「家族を守り、より良い生き方を目指し続ける」という観点で努力していくのが人生だと思うからです。 多くの情報をたくさん「暗記」することよりも、多くの情報に触れて「たくさん考えることを訓練する」ことの方が大切ではないかと思います。 特に、「自分なりに噛み砕いて理解しようと努力する」ということが大切ではないでしょうか。 今の子供たちも昔の子供たちも、みんな同じようにとても大きな潜在能力を内在しているはずですから、「やればできる」と思います。 また、そう信じることが大切ですね ブログ仲間のワンクリックに感謝! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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