カテゴリ:日々の雑感
ちょっと気になるニュースについて少し考えてみたいと思います。まずは、記事をおよみください。 爆破、殺害予告で毎日検挙者 捕まるのになぜやってしまうのか 読まれるとわかると思いますが、 あまりにも幼稚で、短絡的な行動。 ニュースコラムのコメントにもあるように、悪いことをすれば捕まることが分かっていても その捕まるという実感がないという「奇妙な感覚」。 彼らは、興味本位の火事場の見物人のようでもありますが、 一つ間違えば、その「奇妙な感覚」のまま、とんでもないことをいとも簡単に行い、そして実行した後になっても国家権力によって逮捕されるまで自分の行ったことの善悪が把握できていない、そういう人々が後を絶たないことに憂いを感じます。 最近のニュースでよく登場する言葉の一つに「模倣犯」という言葉がありますね。 既に起こった事件や事故の悲惨さを充分知っていながら、それを模倣して、同類のことをしようとする様子には、 自分の考えや主義主張、人間としての誇りや理性など、 そうした独立した立派な人間としての自覚を持てない人々のかわいそうな一面がうかがえます。 自分には自分の考えがあるし、自分の行動は自分の判断によって行うことが人としての当然の姿勢なのであって、 人のまね、しかも凶悪な事件を模倣して社会に不安や迷惑をかけることが分かっていてそれを行う大人としての自覚のない幼稚な行動をする人々がいることは本当に残念です。 比較するべきことではありませんが、一つの着眼点としてあえて比較してみますが、 「尊厳死」の問題です。 この問題は、立場の違いや主義主張の違いなどから、正しいかそうでないかについては、一概に断言できない難しい問題です。 でも、「尊厳死」に関わる人の心を思った時に、「模倣犯」たちとは明らか違いを感じます。 それは、「真剣さ」「心の優しさ」「相手を想う心」「愛する者への不憫さ」「悩みに悩んだ結果としてたどり着いた選択肢」・・・・そういう人としての真面目な向かい合う気持ちが根底にあることを感じます。 その感覚の差があまりにも大きいために、 私は、「模倣犯」の不真面目さ、軽率さ、無責任さ、他人だけでなく自分自身をも大切にしていない面などに対して、強い憤りを感じます。 今、純粋な心を持って素直に明るく成長しつつある子どもたちが、 将来このような残念な心を持ったりすることのないよう、 私たち大人が、しっかりと人としての見本を示すことのできるだけの真剣で真面目な生き様を子供たちに見せてあげるように生きていかなければならない。 ・・・・そんな風に考えさせられました。
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