テーマ:徒然日記(23286)
カテゴリ:日々の雑感
歴史上の事実というものは、動かしがたいものだということを感じるひとつの出来事に何故かとても不思議な出会いのようなものを感じました。 それは何かといいますと、前回の日記の記事中に挿入しましたYoutubeの画像 Close Your Eyes (貴重映像を収録)をご覧いただくとわかりますが、 米軍の撮影した特攻機の映像のなかで、「旗艦空母バンカー・ヒルに突入する特攻機」という字幕があってすさまじい艦砲射撃をかいくぐりながら突入してくるゼロ戦の映像を覚えていらっしゃるかと思います。 その出来事について、以下のような事実のあることがわかりました。 あの空母バンカー・ヒルへ突入する特攻機の映像は、昭和20年5月11日のもので、その日、空母バンカーヒルに突入した特攻機は2機であったこと。 そして、たぶんその2機のうちの最初の1機が、映像に残っているもののようで、あの映像のあと、バンカー・ヒルの甲板上に燃料を満載して飛行準備に入っていた米軍航空機をなぎ倒しながら、反対側の海上に墜落し、 その直後に別の特攻機がやや高い位置からバンカーヒルの司令塔の根元近くの甲板に500kg爆弾を投下し、体当りします。爆弾は飛行甲板を突き抜け大爆発を起こし、バンカーヒルは火の海となります。 ところが、この際、ゼロ戦の機体は爆発せず、燃えることなく残ったそうです。その後、ゼロ戦のコックピット内にあった遺品を米軍兵が大切に保管していたものが2000年になって再び日の目を見ることとなり、その遺品が小川清少尉のものであることが判明し、ご遺族に返還されました。 詳しいことはここをクリックしてお読みください。→奇跡の遺品 もちろん、特攻機が突入したことで、多くの米軍兵士の命を奪うことになります。 その点は、「戦争」を起こしてはならない原点です。 しかし、お互いに国家や家族を支える使命感ゆえに戦わざるを得なかった先人たちにとって、そのことに命をかけて使命を果たそうとした結果なのです。 だからこそ、自国の艦船を破壊し、多くの軍友の命を奪うこととなった特攻機のコックピットに残された小川清少尉の遺品が半世紀以上もたった後にでも、米軍兵士の家族を通して日本の遺族のもとに戻ることとなったわけです。 戦争である以上、醜く悲惨で人間性のかけらもないことが起こったであろうことは当然想像できますが、そうではないこともまたそれが人間と人間によって行われたからこそ存在したこと。 その点に目を向けるべきだと思うのです。 残念ながら、YOUTUBEの画像にみる特攻機の若者(最初の一機の搭乗員)が誰であったかは、知るすべもありませんが、攻撃を受けた側である米軍のみが知り得た実際の戦闘の状況がまさに今の私たちの目前でよみがえることとなったのです。 先人たちの願った将来の日本の姿が、今の日本の姿とは異質のものだったかもしれません。 しかし、今を生きる私たちは、間違いなく彼ら先人たちの命の犠牲の上に平和に暮らせているわけです。 私たちもまた、将来の子孫たちに日本の素晴らしい「こころ」や「文化」を残し、命をかける覚悟で伝えていく責任がありますね。
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