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自分はかつていわゆる大手企業にいた。
入社当時はバブル末期。就職活動時はまだバブルの終わりが見えたなかなくらいだったから、とにかく同期入社数は多かった。会社側から入社してくださいとリクルートがあった時代。今では考えられないような内定旅行(当時は内定者を囲い込む拘束旅行だった)に招待され、入社式はこれまた特殊な場所を貸し切って行われた。 正確には覚えていないが、同期の数は数百人。事業部がいくつもあったが、自分の事業部配属だけでも同期は60名以上はいたと思う。 以後の話、60名としよう。 35年経ちその同期組はどうなったかというと、だいたい2/3はいなくなった。転職だけではない。結婚、出産・子育て、転勤不可、介護、親の跡を継ぐ、学びなおし、病気、色々な理由で会社を去っていく。実際に体調不良理由は少なくないし、死亡もいる。健康第一。 60人の2/3は40人。本社籍が変わらない関連会社出向を含む前提として、つまりは20人が1社の会社員生活を全うしたわけだ。 そのうち管理職になったのは、自分の知る限り4人、確率として20%。いやいや入社人数からしたら7%なので、広き門とは言えない。経営層まで上り詰める奴は結局出なかった。 この7%と20%を多いとみるか少ないとみるかはそれぞれだし会社事情によるが、出世争いとはそんなところからくるのだろう。人の上に立ちたい欲求、権力志向、そして何より給与/生涯年収が違う。 良い大学を出たわけでもなく、夜の付き合いやゴルフをしたわけでもなく、海外勤務したわけでもなく、目覚ましい成果を出したわけでもないのに自分はこの4人のうちの1人だったから、成功したほうだと思う。 30年前は多角経営の会社が多く、部門単位でみたら安定が望みにくかったのは以前も書いた。もちろん絶対つぶれないと考えられた会社の倒産も数見てきたし、同業他社のリストラだって散々見てきた。外資なんて買収、合併だらけで、多くは当時の会社名も、ない。逆もある。当時の無名が今大企業だったり。 同期とは20年以上前から「逃げ切れるかな」という話はしてきた。逃げ切りというのは言い方としてよろしくないが「定年まで(会社/部門が)もつか」「自分たちで成功させられるか」という意味合いだから、若い人には通じにくいかもしれない。 倒産はしないと高を括っていたが、部門のリストラや売買は十分ありえたからだ。実際部門ごと売られてしまった事業部もあった。その同期もいなくなったり他に異動となった。 上記に2/3はいなくなったと書きはしたが、それでも自分らは生涯一会社信仰が強い最後の世代かもしれぬ。 2020年、結果を言えば自分は役職定年まで勤め上げたわけだ。シニア雇用を推進する現在、役職定年自体が古い制度かもしれないが、セカンドライフを考えるにはよい機会だし、一本線が引けることは悪くない。最初からそういう制度がわかっていたから違和感もない。健康を害したのももちろんきっかけになった。 だから、ガシガシに仕事をするのはもう止めようという気にもなった。退職金も無事に出た。人生計画通り、か。 こんなものは実力でも何でもなく運に過ぎぬ。 幸いにも今も継続して少し働いてはいる。もう金にも出世にも縛られないからすごい気楽になった。 30年の会社員生活で特に仕事上の悔いもないが、ちょっとだけやり残しというか気がかりというか、過去どうにもならなかったことを現役管理職の時に仕掛けた。運よく社外環境が後押ししており、来年花が咲き、後輩たちの役に立つかもしれない。 逃げ切りを考えるようなバカな保身ではなく、10年20年先のためになることがしたいな。欲がなくなると心がきれいになる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 29, 2023 03:59:09 PM
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