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「Life」を求めて

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2005.12.18
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カテゴリ:哲学について
なんだか、
現実がブログ的な意識の中で進んでいないか?

ってたまにフッと思うことがある。

わりと綺麗ごとばかりを書いてしまいがちなブログ・・・・(^^:苦笑)

「とてもブログに書けるような内容で無いから」
と、現実のどうしようもなさを正しく見据える事をしなくなることがある気がしてならない。
現実の出来事を見る目、それがブログに書ける内容かどうかによってピックアップされたり、スルーされたりする。

なんかおかしくないか?

現実の見え方が変化してきている?

でも、例えば、デザイナーなんかは天気のことなんかよりも、街の中の様々なデザインばかりを目に追うのだろうし、
マンホールマニアは、街をゆく人々のファッションよりも、地面を見ながら歩くんだろうし(すっごく微妙な例だけども^^;)
弓ばかり引いてると、電車やバスの中で「胴造り」を意識しまうとか、手すりにつかまる時、「手の内」を作ってしまうとか(専門的でスミマセン^^;)


西田哲学のゼミの後だと、純粋経験的として現実を見てしまうとか。

。。。ざわざわ。。。。。(直接経験)

ああ、風が木の葉を揺らす(反省)

…これって純粋経験なんだよな。。。ざわざわ。。。。(哲学的反省=統一力)

とかね。


まあ、例が若干脱線したけど、

「ブログ的な視点」もそれらと変わらないのかな。。。
でも、
あえて、辛いこと、嫌なこと、目をそむけたいこと、等を意識に入れないような視点が、なんだか出来上がってしまいそうでね。。

「それなら、どんな出来事も臆せず書きこめば良いではないか」とも言われそう。
まあ、確かにその通りなのかもしれないけども・・・。
まだ未熟であるんだろうな。現実の見方も、その表現力も。

「現実を、ブログにおいて中途ハンパにメッキ塗装しながら書きこみ、自からの内に正しく着地させずに、web上に投げ置く」
ってことがわりとある気がしてね。
書いてしまうと、すぐに書いたことの重要性を忘れてしまう質だから、時間を懸けて向き合うべきであるような大事なことなら書かない方が良いのだろうか?
あるいは、書いてる内に表現が現実に近付いてくるのだろうか?

現実の温度と、ブログで表現した時の温度と、まだまだ差が出すぎてる気がする。

要は、現実を脚色し過ぎることなく、自分らしく、自分の現実に一致することを求めつつ書くってことかな。
読者を意識し過ぎて自己矛盾するようなブログを書くのは本末転倒な事であるしね。

要修行・研鑚。。。
でも、ブログってそんな難しいもんでもないのかしら?





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Last updated  2005.12.20 02:06:47
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