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カテゴリ:哲学について
いやあ、お正月グータラしてたらもう4日ですなあ。
早っ。 皆さんは今年の目標や予定を立てて、今年も頑張ろうという初心を抱いたことと思います。 でも、この「初心」というやつ、なかなか持続が難しいんだよなあ。 このお正月の「初心」と同じくらい力強い気持ちが、一年365日持続したら誰でも自分の夢が叶っちゃうんだろうね。 初心を忘れない為に、年末に買ったばかりの新しい手帳に夢(初心)を書き込んで、それを日々開くことで初心に抱いた強い気持ちを思い出す、ってのはこの時期やってる方多いんでしょうな。 昨年の自分もそうでやんした。 でも、その「毎日手帳を開く」ってことが、昨年は半年くらいまでしか続かなかったなあ。忙しさにかまけて、手帳の使い方がだんだんとルーズになってしまっていた。。。 手帳が使えなくなったのは、「仕事用」と、「プライベート用」とで二冊も手帳を使っていたからだろうな。スケジュール写すのがかなりめんどかった。(そしてスケジュール分刻みで埋まるほどの仕事もなかったし。。。) 齋藤孝が、「手帳を見ているとけっこう精神衛生にいい。追い込まれていても、手帳を見ることで整理できる。もし手帳なしで生活していたら、脳が混乱して、ものすごいストレスに陥っていただろう」(ちくま文庫『段取り力』227P)と述べている。 齋藤孝は手帳がなければストレスになる生活を送ってるんですな。 それは、この人が忙しすぎて、自分の頭だけで管理できるようなスケジュールを生活してないからなんだろうな。まあ、凄まじい勢いで年に何冊も本出しまくってるしね。 時間に追われてキリキリ、イライラ生活するのは嫌だ。 時間(スケジュール)を追っかけながら、どこかに余裕の眼差しをもって生活にあたりたい、ってのは多くの人が考えることじゃないだろうか。 「手帳を見ているとけっこう精神衛生にいい」ってのは本当にその通りで、スケジューリングができて、自分の思うとおりに生活できてるって実感が得られるのもそうだし、 やはり最初に述べた、「夢」とか「初心」ってのを思い出せるからなんだよねえ。 これは精神衛生上良いと思う。 「スケジュール」や「夢」を管理できる手帳を持つ、ということはどうゆうことかをここで考えてみる。 「時間」というのは、よく「意思」とか「意識」とか「主観」の形式に読み替えられる。 人間の意識は時間的にできている。過去と未来とが現在という矛盾点にて現在している。 だから時間というのは、カレンダーや時計のように数字だけで表現できる客観的な時間だけでは成り立たない。 時間の本来とは、現在にテーマ性や意味を付与する。それが意思と呼ばれたり、意識と呼ばれたり、人格と呼ばれたりする。 例えば、一週間のスケジュールを考えるとする。 仕事の後に2時間の自由時間が生じたとする。 その時間を読書に充てるとする。 そして、その時間に読書をした。 時間管理というのは、これだけでは十分ではないと思う。 スケジュールを消化することに満足するのではなく、時間を濃密な質で過ごすというところに満足しなければいけない。 これでは数字的な管理であって、意思の管理、意識の管理ではないと思う。 数字の管理の前には、やはりそれをするための目的や理念が必要になってくる。 でなければロボットになってしまう。 例えば何時から何時の間に読書をすると決めておいても、意識にテーマ性がなければ、その本から得られるものは少ないのではないだろうか。 テーマ性を持った読書というのは、そこで得る情報を具体的に「この仕事に活かす」とか「この論文で使う」とかいう意識のことだ。 仕事をした直後になかなか哲学の本は頭に入ってこない。 それはテーマの切り替え、人格の切り替えがうまくいっていないからだと思う。 疲れてたりすると、ボーっとテレビに見入っていたり、漫画を読んでたりしてしまう。 ボーっとするのはまあ仕方のないことだし、生活に最低限必要なことだ。 でもせっかく我々は手帳という凄いアイテムを持ってるんだから、ボーっとするのは最低限にして、なるべく能動的に生きていきたい。 だから、「睡眠時間は何時間で、何時から何時まで本をよんで」というように単純に数字でぶった切るような時間管理をする前に、まずは生活のテーマを明確に持ちたい。 仕事、勉強、遊び、人付き合い等、様々なテーマが我々の生活に複合的に走っているはずだ。そして、それら複合的に絡み合うテーマのラインは、辿っていくとどこかで大きな共通点に繋がっているはず。 だから、その共通点を見つけること、 そしてそれぞれ時間的に複雑に絡み合うのテーマの比重と、メリハリを 手帳でハッキリとさせる必要がある。 手帳を開き、生活を俯瞰するということは、非常に哲学的な行為であると思う。 「私」を超えて〈私〉を考えること 「意識」を超えて〈意識〉を考えること。 「時間」を超えて〈時間〉を考えること。 「生活」を超えて〈生活〉を考えること。 手帳を携えて生活することは、哲学を携えているようなものじゃあないか。 今年から僕のサラリーマン生活が本格化します。 手帳で何とか哲学と仕事を結び付けられますように。 仕事をすること、哲学をすること、弓を引くこと、生きることが一つのことでありますように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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