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2007.06.30
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カテゴリ:弓道について
っても、地元の道場での30人程度の月例射会。
引っ越してきて今日始めて参加したんだが、初参加・初優勝^^

一手+四矢×2立の合計10射。
10射8中で優勝ってのも微妙な感じなのだけれども。。。

しかし、優勝したおかげで、最後に納射をやることに。。。聞いてなかったしーT_T
学生時代の微かな記憶を頼りに何とか乗り越えた~。

まあ、ここの道場ではまだまだ新参者なので、顔は少しは憶えてもらったようで良かった。

先月の全関OB戦からあまり練習はできてなかったけど、
あの時の集中力がまだ残ってたらしい。最後の四射は皆中で決められよかったっす。

今日の射会出て思ったけれど、
スポーツや武道一般に言えることだと思うけれど、ここ一番勝負どころの集中力ってのは、ただの精神力とか、根性ってものとは異なるものだと思った。
もっとフィジカルなものであると思う。身体感覚に確実にリンクしているものであると思う。
精神的なメリハリであることは確かなんだけれども、でもそのスイッチは、身体の感覚と結びついている。

例えば、的を見るということ。
弓を構えて的を見る時、ただ物質的な対象として的を見るのではなくて、意志的な対象として見る。

普通に考えれば、的はただの28m先に置かれた物質であることにはかわりないのだけれど、でも、射手がその前に立ち、その的に決意を注いだり、覚悟を決めたりするってことは、ただ単に物質を見るということとは違う。

私がある意思を持って的前に立つこと、
その立ち方はただ立つということとは明らかに意味が異なってくる。
弓の構えも、ただ型を作るということとは明らかに意味が異なってくる。

世界を意思的に構成するってことだ。
意志的に的を見ることは、身体の感触もその的へ向かう意志へと合わせていく作業である。

そこには技術というものも関与してくる。
技術=型というのは動作の反復可能性のことであると思うのだけれど、集中力の下に働く動作反復ってのは、ロボットのそれとは意味が違ってくるのではないかなとも思う。
動作の反復はもちろんするんだけれど、
それは意志が反復するんじゃないかと思う。(意志というものが時間の形式を持っているものだと考えると、時間の反復とも言えるかも。。。)

とにかく、
集中力と混ざり合った身体感覚というのはなんとも心地良い。
その感触を得た時というのは、世界の確実さを感触する時であると思う。
世界の不確かさは、身体感覚の不確かさにも由来するんだと思う。
確かな身体感覚は確かな世界を実感させる。

弓道は反復動作が全てだ。でも何千回、何万回と同じ動作なのだけれど、
その都度反復する意志が、新たな現在(世界)を自覚させる。

弓をまっすぐ推す感触、
弦を引き絞る感触、
天に伸びるように床の上に立つ、
身体の中心(胎)を確認する

その一つ一つの感触が、世界を確実にしていく。
世界の意味を構成していく。

そのために弓を引くんだと思う。





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Last updated  2007.07.01 02:11:32
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