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カテゴリ:哲学について
「心とは何か」と考える人は多いと思う。
心という働きが相対的であることに気付くこと 最近多い。 仕事 人に出会うことで常に新しい自分を確認している。 キャリア相談はそう。 弓の指導もそう。 最近は営業先でお客さんと話をしていてもその感じが得られてきた。 相手にはたらきかけることのできる自分を確認している。 人に対して何かができている、相手の話を聞いていること、適切な回答が頭の中に用意されていること。その回答の表現方法を考えること。 でもその実感は互いの間に成立する表現全体の場所から一転翻って、自覚として得られることになる。 人に対してはたらきかけること。 意志を向けること。 それが人格と言われるものであるし、自覚の成立ということでもあり。 和辻哲郎の言うように、 人間存在の本質が「個」としてあるのではなく、 「間柄的存在」としてあると言うことの意味が生活を顧みてみると理解されてくる。 主体は、主観ではなく、主観・客観の成立する場所の方にあるということ。 ただ、「主観としての自覚」⇒「場所としての自覚」というような自覚の発展の経緯は 両親との出会い。 兄弟との出会い。 友人との出会い。 妻との出会い。 娘との出会い。。。 「出会い」において成立してる。 絶対に出会えないはずの絶対の他者に出会える場所がある。 私であること、あなたであること、そのような相対性の成立の場所。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.12.23 02:06:49
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