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カテゴリ:哲学について
弓引きの世界は相対的に構築される。
右に対して左 弓手を推せば妻手も張ろう。 上に対して下 足を使えば背も伸びよう。 剛に対して弱 弱の働きを明らかにせば剛の働きもも明らかになろう。 的に対して自己 自己の意志を明らかにせば的の正体も明らかになろう。 現在に対して未来 現在の技の自覚が、未来の的中を明らかにする。 一方を明らかにする事で、他方もまた明らかになっていく。 その互いの矛盾が互いを照らし合う作業が弓の道であらうか。 矛盾を統一していく作業だから非常に微妙で繊細な世界にもなる。 この矛盾の統一といふ作業に於いて我々は自然、意識の対象を拡大せざるを得ない。妻手を大きく引こうと思えばまず弓手を強く推さなければならない。妻手だけ、弓手だけではなく左右釣り合いの因果、 左右の因果を意識できたら上下の因果、上下の因果が明らかになったらなら自己と的。。。 身体的な、或いは空間的な因果の集積が「会」の状態になるのだろうか。そのがんじがらめの空間的因果の限定が極まるところから、時間的因果の世界へ飛躍するのが「離れ」か。。。 ある因果の世界の追及が、質の異なる別の次元への因果へと進展させる。 意識の対象界はより階層を深め拡大していくことになる。 しかしながら、 最終的には、一つの世界なのだろうか。 達人たちが住する世界はまだまだみえず。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.05 01:49:16
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