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カテゴリ:弓道について
‘09 2/11(水) 【40射 23中 5.8割】
××××○○×××○○×××○○○×○× ○○×○××○○×○○○○○×○○○○○ 前回と変わらず「胴造り」「手の内」に注意して引く。 胴造り⇒臍を地に向ける 手の内⇒正法流の手の裏にチャレンジ(参考文献:『弓の道 正法流入門―武道としての弓道技術教本』吉田レイ ) 前半20射は胴造りを変えて腰が浮く感じになれず今ひとつ。 腰からの「縦伸び」を意識することで腰も落ち着く。また、 打起こした時の両肩を沈める感触が腰と連動させることができ、ようやく腰が落ち着く感あり。 正法流を起こした吉田能安という人はもともと本多流で後に阿波研造の大射道教に師事している。 ちなみに今の僕の本多流の師匠のかつての先生でもあった人である。 正法流の手の内は、「握り締めるときに放れが出る」のが大きな特徴。弓返りはせず残身で「向こう弦」になっているのを良しとする。 この吉田能安の手の裏は、弓聖阿波研造をして「大射道教の手の内はこれでいく」と言わしめたもとのこと。 「けして握ってはいけない」と一般的に考えられている手の内の常識からは真逆な見解であるのが非常に面白い。 握るとはいってもただ力で握り込むのではなくて、会で人差し指を拇指に向けて握っていく。 実際試してみると、人差し指が拇指に接近するにつれて、拇指が強く伸びるのを感じる。そうしているうちに発が生じているという感じ。 弓返りは「向こう弦」とまではいかないが、200度くらいで止まる。矢勢非常に良し。 確かにこれなら兜も射抜けそう。 会で手の内の操作に気を囚われすぎるのが最も難しいところ。 人指し指の操作は、会での胸の詰めと連動して同時に行うようにしたらわりとうまくいった。コツが掴めたら、的中も良くなった。 本多流の離れは「鸚鵡(オウム)の離れ」と言って、手の内の推し掛けをトリガーにして離れを誘発するものだが、正法流のこの手の裏もやはり人指し指がトリガーとなっている。 「無念無想の離れ」・「雨露離の離れ」の観念論的な離れとは大きくかけ離れる、非常に合理的で技術的な離れである。 離れの世界観の構築というのが、弓道家にとっての一つの大きな醍醐味・テーマであることは間違いない。 離れを意識的に行おうとするか、無意識的に行おうとするか、 それには前提として射への向き合い方が大きく問われることになる。その一射がどのような意味が、目的があるのか。 目的の背景、意味の背景をさらに追究していくことでもある。 人生というのもまたそれに似る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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