353314 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

「Life」を求めて

「Life」を求めて

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

2009.03.24
XML
テーマ:弓道(485)
カテゴリ:弓道について
今週末に本多流の審査があるが、
毎日残業続きで忙しく、思うように的前の稽古ができず、
加えて先週末の大会の結果(角見が分らず、発がでない悩み)があり、
なんだか今週は気持ちばかり焦ってしまっている。。。

こんな時こそ、教本四巻の鈴木弘之範士の言葉を改めて見返してみた。

鈴木範士は謙虚な語り口で、
・真を尽くすこと
・目的に気を通わせること
・調和

以上のことを繰り返し述べている。
腕の角度がどうの、どこを使えだの細かい技術的な話は一切していない。
足踏みにしても、両手の内にしても、大三にしても、「ぴたっ」と決めてしまったらもうそこで往生して覚悟を決めること。最後までやり抜くこと、真を尽くすことの大事さを語る。

下記のような言葉がある。
「隙ができたら
これは、待つことであります。
じいっ、と待つのであります。
待って隙を塞いでしまうのであります。
そのあとに、離れがやってまいります。」

自分の場合、角見が「隙」として射から抜け落ちててしまっている。
先週末から見失っっている角見の感触は、
自分で手の内をいじり、弓手を推して探していくのではなく、
逆に、もう弓を手の内で受けるに任せて、待ってみようと思った。

そんな風に考えゴム弓を引いていたら、なんだか「待つ」ことのうちに徐々に角見の在り処が分ってきたような気がした。

ここでの「待つ」ということはけして消極的なことではなくて、返って、積極的に感触を味わい尽くすことなのだと思う。

自分の身体感覚に沈潜してくような、その果てに発があるような、
次の的前はそんな風に挑もうと思う。
鈴木範士 大三.jpg鈴木範士 会.jpg





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2009.03.25 01:40:28
コメント(4) | コメントを書く
[弓道について] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X