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テーマ:弓道(485)
カテゴリ:弓道について
今週末に本多流の審査があるが、
毎日残業続きで忙しく、思うように的前の稽古ができず、 加えて先週末の大会の結果(角見が分らず、発がでない悩み)があり、 なんだか今週は気持ちばかり焦ってしまっている。。。 こんな時こそ、教本四巻の鈴木弘之範士の言葉を改めて見返してみた。 鈴木範士は謙虚な語り口で、 ・真を尽くすこと ・目的に気を通わせること ・調和 以上のことを繰り返し述べている。 腕の角度がどうの、どこを使えだの細かい技術的な話は一切していない。 足踏みにしても、両手の内にしても、大三にしても、「ぴたっ」と決めてしまったらもうそこで往生して覚悟を決めること。最後までやり抜くこと、真を尽くすことの大事さを語る。 下記のような言葉がある。 「隙ができたら これは、待つことであります。 じいっ、と待つのであります。 待って隙を塞いでしまうのであります。 そのあとに、離れがやってまいります。」 自分の場合、角見が「隙」として射から抜け落ちててしまっている。 先週末から見失っっている角見の感触は、 自分で手の内をいじり、弓手を推して探していくのではなく、 逆に、もう弓を手の内で受けるに任せて、待ってみようと思った。 そんな風に考えゴム弓を引いていたら、なんだか「待つ」ことのうちに徐々に角見の在り処が分ってきたような気がした。 ここでの「待つ」ということはけして消極的なことではなくて、返って、積極的に感触を味わい尽くすことなのだと思う。 自分の身体感覚に沈潜してくような、その果てに発があるような、 次の的前はそんな風に挑もうと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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