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テーマ:弓道(485)
カテゴリ:弓道について
四月になり、風景の所々に木々の深い緑が日増しに生き生きとしてきてる。
木立の存在を感じ取ったり、無限のように重なり連なりあう深い葉の緑に目を配ったりする時、あるいは自分を大きく超える無限へと通じる自然へと向き合った時、 自然、我々は積極的に受身の構えになるのだと思う。 それがいわゆる自然体というものなのだろう。 弓に対して、身体に対して、呼吸に対して、子に対して、現実そのものに対して、焦らず自分の身体をじっくりと対象に合わせ込んでゆく、常にそんな風なそんな構えが欲しいとも思う。 もし自分に焦り求める気持ちが働いたなら、 鈴木弘之範士のように待つことの大切さを思い出したり、あるいは、木の実存に想いを馳せるというのも有効なのだなと思う今日この頃である。 弓との相性は、自分があえて待つことで、弓に合わせにいかなければと思う。 弓からの張りや力を身体で感じ取ることができなければ、 呼吸が胎に落ちるのを待ち、 身体が重力を受け止めることを待ち、 弓の感触が身体に伝わることを待ち、 弓構えでも、打ち起こしでも、大三でも、会でも、ぴったりとそれに合うまで待つ。 【待つ】ということが今自分にとって大切なキーワードとなっているんだと思う。 【‘09 4/18(土) 40射 29中 7.3割】 先日得た肘力の感触を大切にしようとして引いた。 大三を「中力・肘力・受け渡し」と言うくらいなので、確実に肘に弓力を引き渡さなきゃいけない。 それにより肘に深みが増す。 弓手の手の内に味わいが増す。 弦道の取り方によっては手の内が自動的に締まるラインというのがあるのを強く実感。 手の内が締まり、弓手を育てるような妻手の引き方というのが確かにある。 【‘09 4/19(日) 40射 23中 5.8割】 胴造り若干崩れ、矢勢落ち、矢が6時へ抜ける。 修正は足踏にて行った。 足裏で地を踏み込むんだ時に返ってくる力を、腰、うなじにまでしっかり届けて縦線を作るようにしたら思いのほかしっくりときた。 また、 弓構えでの卵中の手の内を再度確認する。 会では卵をつぶす感触にて綿所で押し切るようにしたら、矢勢はまた戻ってきた。 弓を伏せて角見の効いた弓手、胸弦での伸び、妻手拇指の強く軽い離れ。 本多の会の世界、もうちょっとで、すこ~しだけ届きそうな気がしている。 やはりもうちょっと日を空けずに、矢数を掛けれるようになりたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.04.21 02:29:25
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