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2009.08.31
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テーマ:弓道(485)
カテゴリ:弓道について
八月 矢数集計 【314射 168中 5.4割】

仕事が忙しく日記は更新してませんが、そんな中弓だけは一生懸命引いてました。。。

8月は大会・審査等予定は色々あったが、
練習量に対して、的中率も若干向上はしているものの、本番で今ひとつで結果が残せず、パッとしない。

日々弓を引いて一喜一憂をするのだけれど、
何か自分の中に具体的に残るものが無く、「これだ」という実感が掴めずにただただ矢数ばかり掛けてしまう今日この頃。

確実な的中を持続するにはどうすれば良いのか。。。

ここ最近よく思うが、
洋弓に比して和弓の的中率というのはすこぶる悪いと思う。
和弓の場合、的中は道具よりも射手の技術に寄るところが大きくなるのは周知の事実だが、しかしながらこの大きな差は何なのだろう。

洋弓の場合は狙い、引き尺、リリースのタイミングという的中の重要事項を装置側にゆだね、一射毎、発射時の矢に懸かる力、方向性、狙い等、的中の為の諸条件を毎回正確に再現できてると思う。

それに対し、和弓は身体感覚的な要素が大きい。
足踏み、胴造りに始まり、三十十文字、胸弦、頬付け、籐での狙い。
狙いに関しても矢を耳まで引き込む為に視界に矢の全体が入らず、矢の向きが確認できない。故に矢ではなく、弓の籐で狙いを合わせることになる。
引き尺、離れの左右のタイミング、矢の向き、弓返り、様々な条件が人間の身体・精神によって大きく変化してしまう。
弓の成りを直したり、矢の重心や重さを調整して的前に挑んでみても、発射台となる人間が一番不確定要素が大きい。。。

道具と人間と互いにくフォローし合って矢は的に中るのだろうが、和弓は人間に求められる技術的要求が大きい気がする。

身体的な技術だけでなく、精神的な成長、人格の形成が要求されるから和弓は「道」として成り立つのだろうか。

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一月 矢数集計 【266射 121中 4.5割】
二月 矢数集計 【214射 100中 4.7割】
三月 矢数集計 【287射 153中 5.3割】
四月 矢数集計 【312射 175中 5.6割】
五月 矢数集計 【308射 148中 4.8割】
六月 矢数集計 【256射 120中 4.7割】
七月 矢数集計 【406射 184中 4.5割】

八月 矢数集計 【314射 168中 5.4割】
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2009年 総矢数:2556射
総的中数:1169中
的中率:4.6割





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Last updated  2009.09.15 22:36:50
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