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「Life」を求めて

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2011.01.30
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カテゴリ:哲学について
東北のこの地に移り住んでみて、雪についてを改めて意識させられる。
たまに、関東で雪が降り、少し積もったりして、街の景色が雪化粧すると、その非日常感にとてもワクワクしたものだ。
子供の頃は、もっと積もって欲しいとも思ったし、小さな雪だるまや滑り台を作ってソリ遊びをした。
一方今では、毎朝の雪掻きが欠かせない。
身体から湯気を立てながら、まさに雪と戦っている気がする。
雪は生活の敵であり、今朝は何センチ雪が積ったのかという毎朝の気兼ねである。
しかし庄内平野の一面の雪景色は非日常感もあり、安心感もある。
毎冬に見せるその風景が、そこに住むものに気持ちの静けさ、落ち着きを与えてくれているのだろうか。
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先日、「雪観」という僧名を師より頂いた。
師の僧名は「雪法」と言い、師の師は「雪操」と言ったそうだ。

この名を頂戴した時に、「雪の目付け」という話を思い出した。

『「雪の目付」ということは、降る雪の一片を見定めて、それを地に落ちる所までを見失わぬように見極めることでありますが、これは心と眼が一致することが肝要でありまして、換言すれば心眼で標的を見定めることであります。(中略)これは単に目だけで狙うことではなく心眼に捉えることが肝要でありまして、的に向かって弓を引くときは決して瞬きをすることなく、的と自分の体と心と技が一体となるように精神を統一することが必要であり、このように精神統一ができたときは、弓を引き収めると的が矢摺籐の左側へピタリと吸いつくように近く大きく見え、放てば必ず的中するものでありまして、このようなことは相当修行を積んだ人は誰でも体験しているところであります。』(尾州竹林流「四巻の書」講義(12)魚住文衛 月間弓道465号昭和62年6月所収)



ゆったりと、多数無限に降り続く雪の中の一つを捉え、そこに焦点を当てていく。

そこで得られるのは、ただ単なる視点のピントの合わせ方では無く、降る雪が持つ静けさと、落ち着きと、遅速無い時間の確実さである。

雪が、音無く地に溶け込んでゆくような、静かに沈潜するような身体性を射に写し取る作業でもあるだろう。

毎冬、雪に囲まれるこの地で、雪観という名を拝して弓を引けるということはなにか言い知れぬ納得感がある。

この地に、雪のように落ち着き、溶け込んでいければと思う。





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Last updated  2011.02.01 01:10:38
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